こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、姫路の野里地区を歩いてみたいと思います。
お夏清十郎比翼塚
慶雲寺の境内に墓所のようなものがありました。
こちらはお夏清十郎比翼塚と呼ばれています。
「お夏清十郎」は江戸時代に姫路で実際に起きた駆け落ち事件と、それを題材にした歌舞伎や浄瑠璃などのことです。江戸時代初めの寛文2(1662)年、姫路城下の旅籠・但馬屋の娘だったお夏と室津から但馬屋へ働きに出ていた清十郎が恋に落ちました。しかし、その恋を但馬屋の主人は許さず、清十郎に濡れ衣をかけられて処刑、お夏は墨染の衣をまとって読経を続け、清十郎の冥福を祈るようになったと言われています。
慶雲寺の境内
慶雲寺には夏の日差しがあふれていました。
二人の純愛に心打たれた但馬屋はのちにこの寺の境内へ比翼塚を築きました。また、このお話は歌舞伎や浄瑠璃などのたくさんの文芸作品にもなりました。井原西鶴の『好色五人女』に収められた『姿姫路清十郎物語』や、近松門左衛門の人形浄瑠璃『五十年忌歌念仏』はよく知られていますね。
野里地区の街並み
慶雲寺を過ぎても、野里地区には趣のある街並みが続きます。古くから交通の経路上にあった野里は古くから栄え、第二次世界大戦中の空襲被害にも遭わなかったために歴史ある街並みが今も残されています。姫路でもこうした街並みを見られるところは意外と少なく、最近は注目されています。
日吉神社
街の中にあったのが日吉神社です。承和元(834)年に北の増位山にある随願寺の鎮守として近江の日吉大社の勧請を受けて建立された神社で、戦国時代に焼失した後に再建され、現在は前回訪れた雲松寺の鎮守ともされています。
日吉神社の境内
ロードサイドに商店が建ち並び賑やかな現代の野里街道から離れた神社の境内は静かな雰囲気でした。
姫路城築城の中で変わっていった京口と野里、今訪ねてみると物語に彩られた近世からの風情の残る街並みを楽しむことができました。いよいよ夏本番、青々とした緑と姫路の街並みを訪ねてみませんか。
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