せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

姫路・野里を歩いて(前編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前々回と前回は姫路の京口を歩いてきましたが、さらに野里街道を北へ向かってみました。

野里寺町

野里地区の野里寺町に差し掛かりました。
住宅や商店が建ち並んでいますが、瓦屋根の趣のある建物が目立ちます。

雲松寺

新道のほうの野里街道を覗いてみると、山門が大きな寺院がありました。こちらは雲松寺です。もとは曼陀羅寺といい、北側の威徳寺町にあったそうですが、池田輝政の改築時にこの地へ移転し寺号も改めたと言われています。

もともとは「大野里」と呼ばれていた野里地区は姫路城が築かれる前からこの辺りに村が広がっていました。大きく変わったのは慶長6(1601)年からの池田輝政の姫路城大改築で、この時に野里地区の南側は城下に入り、野里街道沿いの街は外町となりました。

慶雲寺

野里地区で目立つのが慶雲寺です。

慶雲寺の境内

慶雲寺の境内は街中にあるせいか広くはありませんが、整った雰囲気です。

慶雲寺は室町時代の嘉吉3(1443)年の創建と伝わっています。もともとは天台宗の寺院でしたが、南室和尚なる人物が天正5(1577)年に中興した際に現在の臨済宗の禅寺となりました。この南室和尚に帰依したのか池田輝政で、この慶雲寺に姫路城築城の際の木材を寄進するなどしました。本堂はこの時に建てられたものとされています。

緑あふれる境内

慶雲寺の境内は夏の緑があふれていました。

次回は慶雲寺からもう少し野里地区を歩いてみたいと思います。

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