せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

荒井・小松原を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、荒井を歩いてみたいと思います。

洗川緑道

街中を歩いていると遊歩道が現れました。こちらは洗川緑道です。今は埋め立てられていますが、その名の通り、かつてこの場所には南洗川という川が流れていました。今の住宅が建ち並ぶ景色が広がっていますが、かつてのこの辺りは加古川の支流の北洗川と南洗川、法華山谷川が作るデルタ洲が広がっていました。水利、そして、水運に恵まれた土地であったせいでしょうか、古くから栄えていたと伝わっています。

三社大神社

緑道を外れて街中を歩いていると大きな神社がありました。こちらは三社大神社です。

小松原城の碑

境内には石碑がありました。この地にはかつて、小松原城と呼ばれる城がありました。

小松原城を小松原盛忠なる赤松一族の人物が築いたのは弘長元(1262)年のこと。デルタ洲の頂点に位置したこの地は天然の要害で、この辺りの地域を支配する拠点となったそうです。城郭と集落を取り囲むように堀が築かれ、大規模な環濠城郭集落が形成されたとされていて代々小松原氏の城として使われていたそうですが、いつの頃か廃城となり、跡地は住宅地となりました。今では城の面影はありませんが、堀をそのまま埋め立てた道路や入り組んだ住宅地に城跡の雰囲気を感じることができます。

大福寺

三社大神社に隣接してあるのが大福寺です。この辺りも小松原城の城郭の中心であったとされています。この寺には小松原盛忠を祀る十三重層の石塔があります。

御所殿神社

三社大神社から入り組んだ住宅地の中を歩いていくと小さな神社がありました。こちらは御所殿神社です。

先ほど見てきたように、この辺りは多くの川によってデルタ洲が作られていました。その一つだったとされるのが南批都麻島(なびつまじま)です。この南批都麻島に生まれた美女が印南別嬢で、播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)とも呼ばれ景行天皇の妻となった人物でした。この御所殿神社には印南別嬢が祀られています。はるか古代、景行天皇は大和からここ播磨の地を訪れて印南別嬢を妻として迎えたと伝わっています。前回訪ねた荒井神社とともに、この地域の古い歴史を感じる神社です。なお、印南別嬢の墓は加古川を遡った日岡に建立されたと言われていて、日岡神社近くの日岡陵古墳であると言われています。

神社前の池

神社の前には緑色の水が張られた池がありました。こちらの池の底からは弥生時代の高坏が見つかったそうで、小さな池にはるか古代のロマンを感じることができますね。

工業地帯の山側に静かな住宅地の広がる荒井。街中にははるか古代へ遡る史跡が眠っていました。まだまだ厳しい状況が続きますが、お近くのスポットをたずねてみてはいかがでしょうか。

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