せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

播磨の善光寺と山陽道・高砂市阿弥陀を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、高砂の阿弥陀を歩いてみたいと思います。

薬師堂

街道沿いを歩いていると薬師堂がありました。江戸時代に建立されたというお堂で、街道の風情を残す町並みに溶け込むように佇んでいました。

時光寺

住宅地を歩いていくと、趣のある山門が姿を現しました。
こちらは時光寺です。

時光寺の境内

趣のある山門をもつだけあって、時光寺の境内は広々としていました。

時光寺は鎌倉時代の建長元(1249)年の創建と伝わっています。時光上人なる人物が阿弥陀如来を海中から引き揚げ、堂宇を創建したのが始まりとされています。この阿弥陀如来像は一体で見つかったわけではなく、二見から阿閇・高砂・福泊・妻鹿…と色々なところから頭や足が引き揚げられたという話が伝わっています。ただし、この時、右手だけは見つからなかったそうで、魚を救うために右手は海中に残ったままといわれています。

戦後記念大仏

境内には戦後記念大仏がありました。なお、ここでいう「戦後」は太平洋戦争ではなく、日露戦争を指します。

もともとは曽根天満宮の西側にあった時光寺ですが、のちに文永10(1273)年に今の場所へ移りました。この時、北原の宿と呼ばれていたこの地を「阿弥陀の宿」と呼ぶように改められたそうです。不思議なありがたい地名はこの時光寺に由来していたのですね。ちなみに、この時光寺は「播磨の善光寺」とも呼ばれていて、この寺に三回参拝すれば信州・善光寺に一回参拝したのと同じご利益があると言われています。

時光寺を眺める

静かな時光寺の境内を眺めてみます。

不思議な地名の街に佇む時光寺。「播磨の善光寺」と呼ばれるだけでなく、不思議な伝説に彩られた古刹でした。これからの気候の良い季節、電車に乗って訪ねてみてはいかがでしょうか。なお、お出かけの際は十分な感染症対策をお願いします。

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