せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

日本三奇・石の宝殿を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、高砂の生石神社を訪ねてみます。

石の宝殿

生石神社の拝殿の向こうには岩肌が見えました。こちらが「石の宝殿」と呼ばれる巨石です。

石の宝殿を眺める

拝観料を払って中に入りますが、巨大すぎて全体を写真に収めることはできませんでした。

前回も見てきたように、「石の宝殿」と呼ばれるこの巨石は生石神社のご神体とされていて、はるか神代に作られたという伝説があります。伝説では大穴牟遅(おおあなむち)と少毘古那(すくなひこな)の二柱の神がこの地に石の宮殿を建てようとしましたが、この地域の土着の神である「阿賀の神」の反乱を受けて中断。宮殿は作りかけのままとなりましたが、二柱の神はその後もこの岩に籠ったそうで、これが生石神社のご神体となりました。

石の宝殿を見下ろす

拝殿の裏手には上ることができ、「石の宝殿」を見下ろすことができました。近づくとよくわかりませんが、こうして見下ろしてみると「石の宝殿」は神社のある巨大な岩をくり抜いて作ったもののようにも見えますね。ただし、そうだとしてもこの石の宝殿が何の目的でどうやって作られたのかはわかっていません。そうした謎から、「石の宝殿」は宮崎県高千穂の「天之逆鉾」、宮城県塩竈市の「四口の神竈」とともに「日本三奇」とも呼ばれています。

岩山と播磨灘

さらに裏手を上ると播磨灘をバックに岩山を眺めることができました。こうした岩山はこの地域特有で、こうした山から採られた石は竜山石(宝殿石)と呼ばれて古くから石材として利用されてきました。石の宝殿もこの石を使って何かを作ろうとした跡なのかもしれません。

播磨灘と上島

山頂に上がると景色が開けました。神社越しには播磨平野の東側、加古川沿いの街並みが広がっていて、南に目を向けると播磨灘が広がっています。水平線の上には無人島・上島も見ることができました。

高砂の山中に眠る謎に包まれたスポット「石の宝殿」ですが、どこか、この地域とのつながりも感じることができました。これからの季節、混雑を避けて訪ねてみてはいかがでしょうか。

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