せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

宝の船入れ・明石港を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて明石港を歩いてみたいと思います。

岩屋神社

街中に入ると、大きな神社がありました。こちらは岩屋神社です。

岩屋神社の境内

岩屋神社の境内には早春の明るい日差しが差し込んでいました。

岩屋神社の歴史は途方もなく古く、成務天皇13(143)年に遡ると言われています。対岸の淡路島の岩屋からこの地に遷ったのが始まりとされていて、1900年近い歴史があるとされています。近世には明石城主の産土神とされて重視されてきました。

岩屋神社から海を眺める

岩屋神社の境内からは屋並みの間に淡路島の山々と明石海峡を望むことができました。

岩屋神社で象徴的な祭礼が「おしゃたか舟神事」です。先ほども見てきましたように、この岩屋神社の祭神は対岸の淡路島岩屋から遷ったとされています。伝説では、勅命を受けたこの地の名主が一族郎党を連れて淡路島へ渡り、祭神を舟に遷して明石へと戻ろうとしました。その際に潮の流れが変わったために明石の浜へ舟をつけることができず、西方の松江海岸の沖の「赤石」付近で夜を明かしました。この赤石付近で神饌を供えたおかげで翌朝には明石の浜へ戻ることができたとのこと。神事ではこの当時を偲んで明石の浜から舟を漕ぎ出し、松江海岸の沖合で神事を執り行います。ちなみに、伝説に登場する「赤石」は明石の地名の由来になったとも言われています。

旧波門崎燈籠堂

再び港のほうへ戻りました。港の外れにある大きな灯篭のようなものは旧波門崎燈籠堂です。江戸時代の明暦3(1657)年に明石港への入り口を示す灯台として設けられ、手を加えられながらなんと昭和38(1963)年まで現役で使用されていました。

淡路島を望む

港からは淡路島の島影を望むことができました。

今は淡路島への航路は前回訪ねたジェノバラインだけとなりましたが、手の届きそうなところにある対岸の島は、岩屋神社の祭神が遷った当時から今まで、ずっとつながっているかのようです。
早春の穏やかな海を石造りの灯台が見守っていました。

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