せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

運河とモノレールの夢の跡・手柄を訪ねて(中編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、姫路の手柄を歩いてみたいと思います。

手柄山中央公園

運河公園から山陽電車を挟んで反対の西側に来てみました。
平野の中にこんもりとそびえる手柄山の中には手柄山中央公園が広がっています。

モノレールの台車

公園内には厳めしい機械が展示されていました。
こちらはかつて姫路駅からここ手柄山まで運行していた姫路市営モノレールの台車の部品です。

手柄山交流ステーション

公園内にある手柄山交流ステーションはモノレールの手柄山駅を再利用したもので、かつてのホームにはモノレールの車両が保存展示されています。

姫路市営モノレールはかつてあった姫路市交通局が運行していたモノレールです。姫路駅~手柄山駅が開業したのは昭和41(1966)年5月のことで、当初は手柄山で開催されていた「姫路大博覧会」の会場輸送で非常ににぎわったそうです。開業時の路線はわずか1.6kmの短い路線でしたが、のちに市南部の大塩や網干、市北部の白国や書写への路線延伸を計画していたといわれています。

モノレール車両を眺める

現在各地で運行されているモノレールはゴムタイヤで走るものが一般的ですが、この姫路市営モノレールは鉄輪で走行するものです。延伸構想には姫路市内だけでなく、兵庫県を縦断して日本海側までの路線もあったそうで、それに対応した高速走行を考えていたのかもしれませんね。

手柄山駅を見上げる

手柄山交流ステーションを出て、駅を見上げてみました。駅自体は残されていますが、駅に至るモノレールの桁は撤去されていて、今はここがモノレールの駅だったことは外からはわからなくなっています。

夢と消えた姫路のモノレール、もう少し歩いてみたいと思います。

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