せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

古代の港町・魚住を歩いて(前編)

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寒さの厳しいこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

山陽魚住駅

山陽電車でやってきたのは山陽魚住駅
比較的暖かい播磨ですが、それでも今の季節は刺すように冷たい風が吹いています。

住吉神社

駅から歩いてほどなく、住吉神社に着きました。

住吉神社の境内

広い境内にはまだお正月の雰囲気が残っていました。

ここ魚住の住吉神社の歴史は非常に古く、創建は雄略天皇8(464)年と伝わっています。
神功皇后の三韓征伐の際、ここ明石の沖合で暴風雨に遭ったために魚住に停泊して避難し、住吉大神に祈ったところ、暴風雨が収まったそうです。神功皇后は凱旋後、この地に住吉大神を祀る社を建立し、それがこの神社の始まりとされています。

錦が浦

文化財にもなっている楼門をくぐると、海に向かって参道が続いていました。先ほど駅から歩いてきた道は実は裏側で、本来の正面はこちらになります。松林の向こうに小さな入り江があるこの辺りは名勝「錦が浦」とも呼ばれています。

播磨灘を眺める

鳥居の前から播磨灘を眺めてみました。かつてはここに直接船をつけて参拝をしていたのでしょうか。長い歴史をもつ神社ならではの景色なのかもしれませんね。

次回はもう少し魚住を歩いてみたいと思います。

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