せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

播州・坂越を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前々回・前回に続いて、坂越を歩いてみたいと思います。

大避神社

街中を歩いていると、石畳の道の向こうに石造りの鳥居がありました。
こちらは大避神社です。

絵馬堂

神社の境内には絵馬堂がありました。堂内にはたくさんの古い絵馬が並び、神社と坂越の街の歴史を感じさせます。

妙見寺観音堂

神社から山道を登ると、寺院がありました。こちらは妙見寺という寺院です。山中にあったのは観音堂で、京都の清水寺のような懸崖造りになっているのが特徴です。

大避神社の歴史は非常に古く、はるか古代に遡ります。創建時期は不明ですが、祀られているのが渡来人集団の長として聖徳太子に仕えた秦河勝なる人物で、秦河勝がこの地にやってきたのは皇極3(644)年とも言われているため、それに近い時期までさかのぼることができるのかもしれません。ちなみに、妙見寺は明治時代まで大避神社の神宮寺でした。

坂越湾を見下ろす

清水の舞台のような観音堂からは坂越湾を見下ろすことができました。湾内に浮かぶ島は生島で秦河勝の古墳がある神域とされています。

大避神社の例祭である「坂越の船祭り」は12隻の和船が湾内や生島の御旅所を巡る船渡御(ふなとぎょ)で知られ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。祭の始まりは300年以上前の江戸時代とされていますが、古式ゆかしい祭礼は坂越の長い歴史を感じさせるものといわれています。残念ながら今年は新型コロナウィルスの影響で祭は中止となってしまいましたが、また伝統の祭礼が執り行われる日が戻ることを祈ります。

生島を眺める

再び海辺に出て、坂越湾を眺めてみました。対岸の生島には大避神社の御旅所が見えます。

古くから天然の良港として栄え、今も昔ながらの祭礼の残る坂越。
山陽電車から少し足を延ばして訪れてみてはいかがでしょうか。

年内のブログの更新は本日で終了となり、次回の更新は年明けとなります。
今年も「せっち・はりま歴史さんぽ」をご覧いただきありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
どうぞ良いお年をお迎えください。

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