せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

播州・斑鳩を訪ねて(前編)

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秋冷の候、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。



山陽姫路駅前から神姫バスで着いたのは難しい名前のバス停です。
この難しい漢字は「いかるが」と読みます。流石に読めないのか、バスの車内の表示では平仮名での案内でした。

大師堂

バス停から歩くと、山添いにお堂がありました。
こちらは大師堂です。

太子山

大師堂の裏手の山は太子山です。その名の通り、頂上には聖徳太子の立像がありました。今では公園となっている山ですが、かつては網干から龍野を経て新宮を結んでいた播電鉄道が鉄道の沿線だったこの地に遊園地を設けていたそうです。

この辺りは揖保郡太子町にあたります。「太子」の地名といい、バス停名にもなっている「鵤(いかるが)」といい、どこか聖徳太子とのつながりを感じますね。はるか古代の推古天皇14(606)年、推古天皇より播磨の土地を賜った聖徳太子はその土地を仏法興隆のために法隆寺に寄進しました。以来、この辺りは法隆寺の荘園「鵤荘」と呼ばれるようになりました。その後、近代に入ってもこの辺りは「斑鳩」と呼ばれていました。「太子町」となったのは戦後の昭和26(1951)年のことです。

太子山からの眺め

太子山からは「斑鳩」「鵤」と呼ばれている街を眺めることができます。

聖徳太子ゆかりの播州・斑鳩、次回はもう少し歩いてみたいと思います。

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