せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

大仏への道・兵庫を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、兵庫を歩いてみたいと思います。

旧湊川

かつての西国街道を歩いていくと、新開地に差し掛かりました。今は面影はありませんが、かつてこの辺りには旧湊川が流れていましたが、流路が付け替えられた今は面影はありません。かつての「神戸」と「兵庫」は旧湊川によって分かれていましたが、流路の付け替えにより地続きとなり、中間には繁華街となる新開地が生まれました。

岡方倶楽部

阪神高速3号神戸線をくぐり、さらに西国街道を歩いていくと、立派な建物がありました。こちらは岡方倶楽部です。

この辺りはかつての「兵庫津」です。古くから港町として栄えていた兵庫は江戸時代には岡方、北濱、南濱の三つに分けられていました。このうちの「岡方」は海に接しない区域を指していて、この場所には総会所があったとされています。明治以降も「岡方」の呼び名は残り、兵庫の商人たちが昭和2(1927)年に社交場として西国街道沿いに設けたのがこの「岡方倶楽部」でした。
幕末の開港以降、神戸の中心は徐々に東へと移っていきましたが、それでも明治以降も依然として兵庫も港町として大きな存在感を持っていたことを伺うことができますね。

札場の辻跡

岡方倶楽部からさらに歩くと「札場の辻跡」に差し掛かります。ここで西国街道は曲がり、柳原の方へと向かっていきます。かつてのこの辺りは兵庫の中心街で、近世には人通りの多い街道沿いに幕府の高札場が設けられていました。今では企業が建ち並んでいますが、港湾に関係する企業も多く見かけ、港町の賑わいを今も感じることができます。

能福寺

西国街道から少し外れた場所には能福寺がありました。

兵庫大仏

能福寺は平安時代の延暦24(805)年の建立とされる古刹ですが、ここで知られているのは兵庫大仏こと毘廬舎那仏像ですね。こちらの大仏は兵庫の豪商・南条荘兵衛が明治24(1891)年に建立したものが始まりです。戦時中には金属類回収令により解体されてしまいますが、平成3(1991)年に現在の仏像が再建されています。

明治以降は神戸に港町の機能が移っていった印象が強いかと思いますが、西国街道沿いに兵庫を歩いていくと、明治以降の港町の繁栄を今に伝えるものを数多く見かけることに気づかされます。
お散歩にも適した季節になってきた今、近代の兵庫を訪ねて歩いてみませんか。

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