せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

港町・飾磨を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、飾磨を歩いてみたいと思います。

史蹟舊姫路藩御舩役所之趾の碑

川沿いを歩いていると、石碑がありました。
こちらは「史蹟舊姫路藩御舩役所之趾」の碑です。何だか難しい名前ですね。

姫路藩御舩役所を眺める

近くにある水門からこの石碑の辺りを眺めてみました。今では面影はありませんが、この地にはかつて姫路藩の御舩役所がありました。

前回もご紹介しましたが、ここ飾磨は古くから港町として栄えてきました。かつての飾磨はもう少し西側、夢前川河口付近が中心だったとされていますが、近世以降は現在の飾磨駅周辺が中心となっています。この地が発展することになったのは、慶長6(1601)年のこと。この辺りにあった入江に当時の姫路城主だった池田輝政が外堀川を掘削した土砂を使って「向島」という人工島を築いて御舩役所を置き、この地を姫路の外港として整えたことに始まります。この時に外堀川は堀としての役割だけでなく、飾磨と姫路市街を結ぶ運河としての役割も持つようになりました。のちに運河としての役割は城下に繋がる船場川に移りますが、この辺りは「飾磨津町二十町」という町に発展します。ここにあった入江は明治時代までは地図上で姿を追うことができるのですが、後に埋め立てられ、今は企業の建物が建っています。

恵美酒天満神社

飾磨の街中を歩いていると、趣のある神社がありました。
こちらは恵美酒天満神社です。

飾磨の街並み

古くから賑わっていた飾磨には今も当時を偲ばせる街並みが残されています。恵美酒天満神社の周辺には外堀川や同じく姫路市街への運河として使われていた船場川から分かれた水路が張り巡らされていて、水路と街並みの景色が広がっています。

恵美酒天満神社を眺める

水路越しに恵美酒天満神社を眺めてみました。

港町として姫路とは違った発展を遂げながら、一方で、姫路の外港として姫路を支える街だった飾磨。
山陽電車の駅の周辺の街中には今も趣のある景色が残されています。

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