せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

港町・飾磨を訪ねて(前編)

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暑さも少しだけおさまり、空には秋の気配を感じるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

飾磨駅

山陽電車で到着したのは飾磨駅

飾磨駅ビル

今は姫路市の一地区の飾磨区になっている飾磨ですが、以前は姫路とは別の「飾磨市」という自治体で、この飾磨駅は飾磨市の中心駅でした。

古くから姫路の南側の港町として栄えていた飾磨は戦時中の昭和15(1940)年に市制を施行して「飾磨市」となっています。それ以前から、飾磨は飾磨町として自治体が分かれていて、別の街という意識が強かったのでしょうか。「飾磨市」が周辺の自治体とともに姫路市に合併されたのは戦後すぐの昭和21(1946)年のことで、「飾磨市」が存在したのは戦時中のわずか6年間だけでした。兵庫県では戦後に多くの自治体が合併をしていきましたが、この飾磨市の合併は大きな市町村合併のはしりのようなものだったのでしょうか。

飾磨街道

飾磨駅のすぐそばの踏切を通るのは姫路と飾磨を結ぶ飾磨街道で、この街道はさらに生野へと続いて「銀の馬車道」の一環となっています。道沿いには「銀の馬車道」の幟が立てられていました。

外堀川

街中を歩くと、姫路の市街地から流れる外堀川のほとりに出ました。
今は静かに川の流れる景色が広がっていますが、かつては少し違った景色が広がっていました。

次回はもう少し飾磨の街を歩いてみたいと思います。

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