せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

街道と伝説の街・大蔵谷を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、大蔵谷を歩いてみたいと思います。

西林寺

住宅地の中を歩いていると、西林寺という寺院がありました。
大蔵海岸を望む小さな寺院ですが、戦時中に小説家・永井荷風が疎開してきて、しばらく滞在したそうです。

稲爪神社

さらに住宅地の中を歩くと、稲爪神社にたどり着きました。
稲爪神社はかつて「稲妻神社」とも書きました。はるか古代に先ほどの穂蓼八幡神社に祀られている越智益射が創建したと伝わっています。

稲爪神社の境内

境内には冬の低い日差しが差し込んでいました。

稲爪神社ははるか古代の推古天皇の時代(593~628年)に大陸から攻め入った不死身の鉄人の率いる軍勢を越智益躬がこの地で迎え撃ったことに由来しているとされています。益躬は三嶋大明神のお告げで、鉄人の弱点である足の裏を弓で撃ち、見事に軍勢を撃退したとのこと。後に、鉄人を撃ったこの地に三嶋大明神を祀る祠を建てたことが始まりと言われています。さて、この鉄人は五体皆白銅の不死身の鉄人と言われていますが、一体何者なのかはわかりません。ただ、鉄人の率いた軍勢は西アジアから朝鮮半島の三韓(高句麗・百済・新羅の三カ国)を征服し、さらに日本に攻め込んできたとのこと。益躬がこの地で撃つことがなければ、古代の日本は征服されてしまっていたのかもしれません。

休天神社

稲爪神社から少し北側に歩くと、休天神社がありました。こちらは菅原道真を祀る天満宮です。伝説では大宰府に左遷される道真がこの地を通りかかり、石の上に腰かけて休憩しました。のちにこの石のそばに祠が建てられたのが始まりとされています。江戸時代に入り、延宝7(1679)年に当時の明石城主・松平信之が社殿を建て、神社としての姿が整えられました。不思議な神社の名前は道真がこの地で休んだことに由来しています。

天文科学館を眺める

休天神社の前の歩道橋に上ると、家並みの向こうに天文科学館を眺めることができました。

街道沿いに趣のある街並みが続き、不思議な伝説が残る大蔵谷。
初詣と合わせて歩いてみてはいかがでしょうか。

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