せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

姫路・船場を歩いて(前編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前々回・前回と姫路を歩いていますが、引き続き、城下を歩いてみたいと思います。

船場川

十二所線を西へ歩いていくと、川がありました。こちらは船場川です。船場川は市川から分かれて飾磨へと流れる河川で、かつては市川の本流であったとも言われる自然河川です。ただ、港のあった飾磨と姫路城下を結ぶ立地から、江戸時代の初めには舟運が始められ、その名の通り、姫路城下の物流を支える存在として機能していました。

外堀の名残

船場川沿いを歩いていると、川沿いに池のような水面がありました。こちらは外堀の痕跡です。

姫路城下の物流を支えていた船場川ですが、地図で眺めてみると姫路城下の東側を囲むように流れている姿も見ることができます。市街化された現代では分かりにくくなっていますが、姫路城築城当時、船場川は西側の外堀川とともに外堀としても機能していました。船場川から分かれ、船場川と外堀川を結ぶ東西の外堀もあったようですが、現在は埋め立られています。この水面は埋め立てられずに残った外堀の痕跡です。

備前門跡

船場川沿いにあったのが備前門の跡です。この地にはかつて西国街道が通り、備前門はその名の通り、備前を経て西国へ繋がっていました。植え込みに並べられているのは発掘調査で見つかった門の前に架かっていた橋の礎石のレプリカとのこと。本物はこの地下に埋められて保存されています。

船場川を眺める

西国街道と飾磨を結ぶ舟運の交わる船場はまさに姫路城下の物流の集散地で、姫路藩の経済を支えていました。

次回はもう少し、船場を歩いてみたいと思います。

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