せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

海峡の街・舞子を歩いて(前編)

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梅雨も明け、夏の盛りの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

舞子公園駅

今回降りたのは舞子公園駅です。

明石海峡大橋

駅からバスターミナルをデッキで越えてすぐ、世界最長の吊り橋・明石海峡大橋がそびえています。大橋目当ての外国人観光客の姿もちらほらとあります。

明石藩舞子台場跡

公園のはずれに石碑がありました。こちらは明石藩の設けた「舞子台場」の跡で、舞子砲台とも呼ばれています。

台場と言えば東京の「お台場」が思い浮かぶかもしれません。名詞としての意味は砲台の置かれた軍事施設で、同様の施設は幕末に舞子を含め各地に設けられていました。この舞子台場が設けられたのは幕末の文久3(1863)年のことで、幕府の命令で明石藩により築かれました。当時、日本には外国船が多く訪れていて、それとともに生麦事件や薩英戦争を始めとする諸外国との衝突も各地で起こっていました。台場が設けられた直後の慶応4(1868)年には舞子にも近い神戸の三宮神社付近で神戸事件も起きています。そんな世相を背景に、舞子台場は対岸の淡路市にある松帆台場と対になり、交通の要衝だった明石海峡を防衛する目的で設けられました。ただ、結局、一度も使用されることもなく明治を迎えることになります。

舞子台場から明石海峡を眺める

舞子は総石造の大規模なものであったと言われていますが、明治時代に一部が焼失し、さらに今は大半が地中に埋められていて、現在では石垣の一部を眺めるのみです。ここが砲台であったことを示す大砲を模したモニュメントが設けられていました。
台場が活躍しなかったのは何だかもったいないような気もしますが、一方で、もし舞子が薩英戦争のような戦いの舞台になっていたら…と考えると、台場が使われることがなかったのは良かったのかとも思います。

今も昔も交通の要衝の舞子。もう少し歩いてみたいと思います。

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