せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

阿閇の里・二子を歩いて(中編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、播磨町の二子地区を歩いてみたいと思います。

二子の街並み

引き続き、明石道を歩いていくことにします。
道沿いには趣のある建物が並び、重要な交通路として栄えていたことを伺わせます。

二子住吉神社

明石道を外れ、南側に向かって歩いてみると、大きな神社がありました。こちらは二子住吉神社です。別名、二子阿閇神社とも呼ばれているようで、この地域によくあるように、住吉三神を祀る神社です。江戸時代の貞享3(1686)年、播磨町内にある野添若宮大神宮の若宮として創建されたと伝えられています。

佛性寺

二子住吉神社に隣接して、寺院がありました。こちらは佛性寺です。佛性寺は鎌倉時代の正和元(1312)年の創建とされ、もともとは二子住吉神社の神宮寺として建立された寺院だったようです。神宮寺が神社より古いのはなぜか…? というところですが、二子住吉神社の創建も佛性寺の創建時期に合わせて遡ることができるのではないかとという説もあるようです。

佛性寺の境内

佛性寺の境内は新緑とつつじの花が眩しいくらいのコントラストを描いていました。

しおくみ道を歩く

新幹線の高架を潜り、さらに南へ歩くことにします。この道は海へ続いていて、「しおくみ道」と呼ばれているとのこと。かつては海で作った塩を内陸の村へ運ぶ人が行き交っていたのでしょうか。

印南野台地の南端の二子地区。交通の要衝として栄えた一方で、台地に立地するための苦労もあったようです。
次回、もう少し歩いてみたいと思います。

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