せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

築城400年・明石城を歩いて(中編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、明石城を歩いてみたいと思います。

明石城巽櫓

石段を上って、本丸に上がりました。本丸の南面には城壁があり、左右に三重櫓があります。
明石駅側から見て右側にあるこちらは巽櫓です。

巽櫓の内部

普段は非公開の巽櫓ですが、イベント期間中は公開日が設けられていて内部を見学することができます。

現在の明石城で残されている建物は南面にある二基の三重櫓だけですが、かつては北面にも乾櫓、艮櫓という三重櫓があり、天守はなかったものの、四基の三重櫓を始めとする数多くの櫓が建ち並ぶ大城郭でした。築城にあたっては藩内で廃城になった三木城や明石城の前身とされる船上城の資材が使われたとされ、巽櫓も船上城の天守だったと言われています。ただし、現在の巽櫓は火災で焼失したものを再建した江戸時代中頃の建築です。

人丸塚

本丸の真ん中に木々が生い茂った一角がありました。こちらは人丸塚です。明石城のある山にはかつて楊柳寺という寺院がありました。この寺院の裏手には柿本人麻呂の墓とされる塚があり、祠が設けられていました。後にこの地へ明石城が築城されることとなり、寺と祠は隣の山に移転し、現在の月照寺柿本神社となりましたが、塚は城の鎮守として城内に残されています。

坤櫓

南面を西に向かって歩くと、坤櫓が現れました。坤櫓は巽櫓と同じく三重櫓ですが、一回り大きく、天守のなかった明石城では天守代用として使われていたようです。もともとは伏見城の建物だったとされ、破風の格子が朱塗りになっているなど、優美な印象の櫓ですね。

明石城と桜

訪れた時は桜が見ごろで多くの方が花見と城の見学を楽しんでいました。

築城400年を迎える明石城。建物の多くは失われてしまっていますが、二基の櫓からもかつての大城郭を偲ばせることができます。次回はもう少し明石城内を歩いてみます。

ランキングに参加しています。
お出かけ前にクリックをお願いします!
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ にほんブログ村