せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

アカシゾウと明石原人を求めて・八木を歩く(前編)

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冬らしい寒さのこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

中八木駅

山陽電車で到着したのは中八木駅

八木遺跡公園

駅から播磨平野らしい平らでのどかな道を歩いていくと、公園がありました。こちらは八木遺跡公園です。今では公園の周りは住宅地となっていますが、古い地図を見ると、集落があるのは谷八木川沿いと、この西側に当たる八木で、中八木にはわずかな住宅があるほかは田んぼが広がるばかりだったようです。

坂道から望む海

八木遺跡公園の横の道を下っていくと、木々の合間から播磨灘の水面が見えてきました。

アカシゾウ発掘地

海沿いの道を歩いていくと、石のブロックで囲まれた一角がありました。こちらは「アカシゾウ発掘地」です。

アカシゾウは昭和35(1960)年に当時中学生だった紀川晴彦氏がこの地の崖でゾウの牙の化石を発見したことから発掘が始まりました。120~180万年前にこの地に生息したゾウの一種とされ、同じ種類のゾウの化石は周辺でも発見されています。この八木のアカシゾウについては、紀川晴彦氏から大阪市立自然史博物館が発掘を引き継ぎ、全身の標本が作られました。

八木の海岸

アカシゾウ発掘地から播磨灘を眺めてみます。穏やかな冬の海の向こうには淡路島の島影が見えます。アカシゾウがいた頃、この播磨灘は大きな湖だったといわれています。

我々人間が歴史を紡ぎ始める前のはるか昔に思いをはせながら、もう少し八木を歩いてみたいと思います。

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