せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

山陽道と新田の街・小久保を歩く(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、小久保を歩いてみたいと思います。

上ヶ池公園

新幹線の高架を潜って北側に出ると、街中に公園がありました。こちらは上ヶ池公園で、その名の通り、池の跡に作られた公園です。

駅が開設され、新幹線の駅が設けられたことで「西明石」として発展した小久保ですが、それ以前は田んぼが広がっていました。この上ヶ池は田んぼの中にあるため池でした。上ヶ池は埋め立てられて公園となってしまいましたが、周辺にはかつてここが田園地帯であったことを示すかのようにため池が点在しています。

大宮橋

駅近くに戻り、国道に沿って歩いてみることに。道路脇に欄干があったので見てみると「大宮橋」という文字がありました。古い地形図を見ると、この橋の下には上ヶ池から流れる小川があったようです。橋の下は今も通れるようにはなっていますが、水はありません。

三社神社

街中にあったのが三社神社です。三社神社は江戸時代の寛文2(1662)年、この辺りの新田開発の際に創建された神社と伝わっています。

印南野台地の東端にあるこの辺りは平野が広がっていましたが、稲作を行なう上で重要な水の確保は難しい土地でした。この地に水が引かれるようになったのが江戸時代に入ってから。明石川の上流から水を引き込む大久保用水の開通によって、小久保にも新田が開かれ、田園地帯が形成されるようになりました。点在するため池は、裏返してみれば水の確保に苦労した歴史を象徴しているといえるのかもしれません。

三社神社の境内

三社神社の境内でも秋祭りの準備中でした。

駅ができ、ビルやマンションが建ち、街が大きく姿を変えていっても、実りの秋を祝うお祭りは今も続いています。

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