せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

明石川右岸の台地・枝吉を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、神戸市西区を歩いてみたいと思います。

吉田郷土館

王塚台から県道を渡った南側も住宅地が広がっています。その中にあったのが吉田郷土館です。

神本神社

吉田郷土館の裏手にあったのが神本神社です。

かつてこの地には枝吉城という城がありました。この地は明石川の河岸段丘上にあり、西に広がる印南野台地の東端にもあたる見晴らしがよい土地で、城造りには最適な場所でした。この辺りの条件は前回訪ねた王塚古墳とも同じですね。城が築かれたのは室町時代の永享元(1429)年頃と言われて、王塚古墳とはなんと千年(!!)もの差があるのですが、この辺りが時代を超えて重要な場所であったことが伺えます。中世以降には山陽道と三木への三木街道が交わる交通の要衝となったため、さらに重要視されることとなりました。

神本神社の境内

神本神社の境内は広々としているのですが、それ以上に印象的なのが鬱蒼とした裏山の森です。

枝吉城を築いたのは赤松氏配下の明石氏であると言われています。しかし、明石氏について詳しいことはわかっていないようで、そのためにこの城のことも詳しくはわかっていません。交通の要衝に位置したため、戦国時代には戦いの舞台となりましたが、天正13(1585)年、代々城主を務めていた明石氏が豊岡へ移ったために廃城となり、資材は舟上城の築城に使われたといわれています(諸説あるようです)。今では住宅地の中にわずかな城郭の一部が残るのみです。

城山を眺める

神社から城山を眺めてみました。この上には本丸跡があるようですが、秋祭りの準備中だったので、訪問は改めることとしました。この辺りには弥生時代の稲作集落の遺跡である吉田遺跡もあり、古くから人が住み重要な土地であったことがわかります。

気の遠くなるような昔に思いをはせながら、実りの秋を迎えた王塚と枝吉を後にすることとしました。

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