せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

塚口御坊を訪ねて(前編)

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梅雨が明け、夏の日差しが差し込むこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

阪急塚口駅

阪急電車で到着したのは塚口駅

塚口の街並み

この辺りの街は平野の中の住宅地で碁盤の目のような整った町割りになっているのですが、この塚口界隈は道が複雑に入り組んでいます。道沿いには飲食店や商店が建ち並んでいました。

南町門跡

阪急神戸本線沿いに歩いていくと、住宅地に出ました。こちらも道は入り組んでいます。住宅地の中に、不自然な空間があり、祠が建っていました。こちらは南町門跡の祠です。さて「門」とは一体何のことなのか?

現在は住宅地となっている塚口ですが、かつてここは「塚口寺内」と呼ばれ、「塚口御坊」を中心とした寺内町でした。応仁の乱の際は土塁を築いて城郭のような姿に整えられ、実際、天正6(1578)年に荒木村重が織田信長に対して謀反を起こしたことに始まった有岡城の戦いでは、この塚口寺内は伊丹の有岡城の出城として使われたそうです。このことから、塚口寺内は「塚口城」とも呼ばれています。現在、当時の土塁はほとんど残されていませんが、塚口寺内の南側の門の跡にはこうして祠が残されています。

東町門跡

南町門跡から東に向かって歩いていくと、東町門跡に着きました。ここにも祠がありますが、南町門跡と違ってこちらは高い土手の上にあります。この土手が塚口寺内の土塁の跡とされています。近づいてみると意外と高さがあり、強固な守りであったことをうかがわせます。

山陽沿線で同じような町と言えば英賀が思い浮かびますが、英賀と比べて塚口は比較的最近まで寺内町の姿が残っていたため、今も面影を感じることができます。次回はもう少し塚口を歩いてみたいと思います。

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