せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

秀峰を望む弓弦羽の里を歩く(前編)

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明るい日差しに夏の気配も感じるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

阪急御影駅

今回のスタートは阪急電車の御影駅

深田池

駅のすぐ山側に深田池という池がありました。高台にこんな大きな池があるとは驚いてしまいますが、もともとは農業用のため池として設けられたものだそうです。

弓弦羽神社

深田池から線路を潜って浜側に出ると、大きな神社がありました。こちらは弓弦羽神社です。平安時代の創建とも言われる非常に歴史のある神社ですが、最近はフィギュアスケート選手の名前に似ているということでも知られていますね。

弓弦羽神社は平安時代の嘉祥2(849)年の創建と伝わっています。しかし、その由緒はさらにさかのぼるようで、古代、神功皇后が三韓征伐の帰途、忍熊皇子が挙兵し、皇后軍を迎え撃とうとしていることを聞き、この地で戦勝祈願を行ったことに由来していると言われています。その故事もあり、秀峰と言われる弓弦羽嶽を望むこの地は「弓弦羽ノ森」と呼ばれる神領地とされ、後に神社が造営されることとなりました。

弓弦羽神社の境内

今ではどうしてもフィギュアスケート選手が思い浮かんでしまいますが、歴史ある神社だけあって境内は広々としています。ただし、境内から神社の名前の由来となった秀峰・弓弦羽嶽を望むことはできませんでした。

急こう配の道路橋

弓弦羽神社から西へ向かうと、急こう配の上り坂を見つけました。この辺りは六甲山地からの扇状地状の地形が広がっていて、南北は急な坂になっていますが、東西方向はなだらか地形が続いているはずです。その中でこの急坂は一体…?

石屋川

坂を上ると、橋がありました。下を流れるのは石屋川です。川は意外と浅く、川底は周辺の地面より高いように見えます。所謂「天井川」ですね。花崗岩でできた六甲山地は非常にもろく、水の流れで運ばれてくる土砂で川底が高くなった川が、旧湊川を始め、六甲山の南側にはいくつもあります。この石屋川もその一つで、かつては水害の原因にもなりました。

次回はこの石屋川に沿って歩いてみたいと思います。

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