せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

谷八木・大窪を歩く(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、谷八木川から大久保にかけてを歩いてみたいと思います。

大窪

賑やかな大久保駅前から北へと歩いていくことに。この辺りはかつて大窪という集落でした。ちなみに、宿場町があったのが「大久保」(後に「大久保町」)で集落が「大窪」で、何だかちょっとややこしいですね。

光触寺

集落の中に立派な寺院がありました。こちらは光触寺です。この寺院の歴史は古く、創建は鎌倉時代にさかのぼるといわれています。源平合戦の際に平家方に付いた武将・佐々木義清は合戦後、一時は幕府の役人になるものの合戦の死者を弔うために出家し、旅に出ました。その旅の中でこの地に立ち寄った際、住民に仏道を説くと多くの人が集まるようになり、この地に寺院を建立することになったのが始まりと言われています。

太鼓櫓

山門は閉ざされていて境内を伺うことはできなかったのですが、塀の向こうに立派な太鼓櫓を眺めることができました。

大窪八幡宮

さらに歩いていくと大きな神社がありました。こちらは大窪八幡宮です。建立は江戸時代の寛永7(1630)年で、初代明石城主小笠原忠政から黒印領の寄進を受けるなどでこの地域の中心の神社として重用されてきました。

大窪八幡宮の境内

境内は雨に濡れてちょっと寂しい様子です。

大久保といえば駅前のマンションの景色が思い浮かんでしまいますが、少し足を伸ばせばけば歴史ある街並みが続いています。早春のお散歩に谷八木・大窪はいかがでしょうか。

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