せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

御着を歩く(前編)

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雪がちらつくこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

御着駅

姫路から乗り換えて到着したのは御着駅

黒田官兵衛ゆかりの地

御着といえば、大河ドラマになった黒田官兵衛ゆかりの地ですね。ドラマの放送は2014年のことですから、気が付けば随分時が経ってしまいました。

山陽道

御着から東に歩くことに。この道はかつての西国街道(山陽道)です。現在の御着の町は国道沿いに広がっていますが、かつての御着はこの山陽道に沿って駅から南東へ広がっていました。

徳證寺

旧街道沿いにあったのが徳證寺という寺院です。この寺院はかつて播磨の国分尼寺だったそうですが、中世に移転、さらに、御着城内だった現地に移されたそうです。

大河ドラマのおかげでここ御着に城があり、城下町だったことが知られるようになりましたが、御着城自体は天正7(1579)に落城し、城下町の機能は失われてしまいました。城がなくなってから近世にかけての御着は山陽道の宿場町として栄えることになりました。

御着城跡

御着の町を歩いて、国道沿いにある御着城跡に到着しました。永正16(1519)年に小寺政隆によって築かれ、小寺氏が播磨を治める拠点でした。黒田官兵衛もここで小寺氏に仕えていたことは何度も紹介していますね。先述の通り、戦国時代に落城してしまたっために城の遺構はほとんどありませんが、城跡のちょうど本丸があったあたりに建つ姫路市の東出張所が城郭風の建築になっています。

大河ドラマから時間が経ち、以前の静かな町に戻ったような御着ですが、もう少し、見てみたいと思います。

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