せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

古湊川をたどる(前編)

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寒い日が続きますがいかがおすごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

湊川駅

今回のスタートは湊川駅
かつて、有馬へ向かう電車が発車していた駅跡から出発です。

湊川の高低差

湊川駅から、西に向かって歩くことに。何度も取り上げてきましたが、明治時代までこの付近を流れていた旧湊川は天井川で、川の部分はまるで堰堤のように周囲から高くなっています。川跡からの道はこんな緩やかな坂道になっています。

現在の新湊川は再度山に発し、会下山をトンネルで貫いて長田区の苅藻から大阪湾に注ぐ川ですが、二度、大きく流路を変えています。もともとの「古湊川」は自然の地形に従って兵庫区を縦断し和田岬のほうへ流れていました。後に(一説では、平安時代に平清盛が)現在の湊川公園から新開地を経て東川崎町から大阪湾に注ぐ「旧湊川」に付け替えられ、明治時代に「新湊川」に付け替えられました。以前、「旧湊川」と「新湊川」はたどっていますので、今回は「古湊川」を歩いてみたいと思います。

願成寺

駅から歩いてほどなく、立派な瓦屋根をもつ寺院に着きました。こちらは願成寺という浄土宗の寺院です。願成寺は奈良時代に行基が観音寺として創建したと伝わる古い寺院です。一旦衰退したのを平安時代に法然の弟子・住蓮が再興し、願成寺と称するようになりました。もともとは湊川をさかのぼった烏原にあったのですが、明治時代の烏原貯水池建設で烏原村が水没することとなり全村移転。寺もこの地に移ることになりました。

古湊川は?

さて、肝心の古湊川はというと、この辺りを流れていたというのですが、ビルや住宅が立ち並ぶのみ。もう千年近く前のことですから、地形も変わってしまって何もわかりません。

少しくじけそうになってきましたが、もう少し、古湊川を追い求めてみたいと思います。

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