せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

花隈を歩く(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、花隈を歩いてみたいと思います。

花隈の街角

花隈城跡には住宅や商店が建ち並ぶ市街地となっています。しかし、所々に風情ある景色が残されています。

花隈城の戦いの後、花隈城は廃城となり、城は解体されて兵庫城の資材にされたと言われています。城下町まで備えた近世様式の城の痕跡を偲ぶことは困難です。再び花隈が賑わうのは慶応3(1868)年の神戸開港を待つことになります。

花街の名残は

マンションが建ち並ぶ景色が続きますが、所々に料亭も残されています。

江戸時代中頃から神戸港が開港するまで、兵庫の港にほど近い柳原に花街がありました。しかし、神戸開港によって町の中心は兵庫から神戸へと徐々に東へ移ることになります。それに伴い、花街も柳原から東の元町へと移転します。しかし、元町も市街地化されていき花街はさらに山手の花隈へと移転していくことになりました。戦前には花隈は神戸随一の花街として賑わうことになります。

厳島神社

町中に小さな神社がありました。こちらは厳島神社です。街並みに埋もれそうな小さな神社ですが、歴史は非常に古く平安時代にさかのぼると言われています。平清盛が福原京造営の際に宇治川の左岸(現在の中央区弁天町)に勧請したといわれ、後に北西に移転。しかし、移転先も神戸郵便局(現在の神戸中央郵便局)の用地となり、現在の花隈へと移転することになりました。花隈の歴史とリンクするわけではありませんが、花隈が花街として発展するのを眺めてきたのでしょう。

戦後も造船業に携わる人々で賑わった花隈の花街ですが、産業の変化などで次第に衰退していきました。今はわずかな飲食店や街並みに面影を残すのみとなっています。

花隈城を眺める

坂道を下り下りると花隈城が見えてきました。模擬石垣とはいえ、石垣沿いに柳が植えられた景色はちょっと風情がありますね。車窓から眺める花隈城とは違った趣です。

城下町として生まれ、近代から現代には花街として賑わった花隈、冬の初めにゆっくりと歩いてみれば新しい発見があるかもしれません。

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