せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

花隈を歩く(前編)

投稿日:



肌寒くなってきたこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

花隈駅

今回のスタートは花隈駅

花隈城

駅の東側には花隈城の石垣があります。といっても、こちらは模擬石垣で昭和44(1969)年に公園として整備される際に設けられたものです。石垣の内部は駐車場になっています。

花隈城が築かれたのは天正2(1574)年のこと。中国の毛利氏や本願寺と対立する織田信長の命を受けた荒木村重が西国防衛のために築いたと言われています(諸説あります)。今となってはあまり存在感がないのですが、築城当時は西国街道沿いに大規模な城郭を持っていたそうです。

花隈城跡の碑

公園に上がると、「花隈城跡」の碑がありました。

西国防衛の要とされた花隈城ですが、天正6(1578)年に伊丹の有岡城にいた荒木村重が信長に謀反を起こしたことから戦いの舞台となります。天正7(1579)年に信長の攻撃を受けた村重が有岡から尼崎、そして、ここ花隈へ逃れてきます。翌天正8年には信長方の池田恒興と輝政の軍勢の猛攻撃を受けて花隈城は落城してしまいます。戦いの後に恒興には西摂の領地が与えられますが海側に新たに築いた兵庫城を拠点としたために花隈城は廃城となってしまいました。

福徳寺

花隈城西側の街中に福徳寺という寺院がありました。現在の花隈公園は花隈城全体から見ると東の端に当たり、本来の天守はこの福徳寺のあたりにあったと言われています。門前には「花隈城天主閣之跡」という碑がありました。ただし、古い時代に廃城になったせいか、周辺に城の痕跡は見当たりません。

福徳寺の周辺には趣のある街並みが続いています。もう少し、花隈を歩いてみたいと思います。

ランキングに参加しています。
お出かけ前にクリックをお願いします!
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。