せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

魚崎を訪ねて(前編)

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木々も色づき始めたころ、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

魚崎駅

今回訪れたのは魚崎
駅の周辺には住宅地が広がり、六甲ライナーにも接続しているので賑わっています。

六甲の山並みを望む

駅の傍には住吉川が流れていて、上流に目をやれば六甲の山並みが続いています。

旧魚崎町役場
駅の山側の住宅地の中にあったのが「東灘区民センター小ホール」です。こちらのえんじ色の建物、見るからに古そうな様子ですが、その見た目通りで、戦前の昭和12(1937)年に旧魚崎町の町役場庁舎として建てられたものです。魚崎町は大正3(1914)年に魚崎村が町制施行して生まれた町で、戦後の昭和25(1950)年に神戸市に編入されるまでこの地に存在しました。立派な庁舎は神戸市に編入された後も東灘区役所の出張所となり、病院として使われてから現在のように公共施設として使われるようになりました。

雀の松原

住吉川の右岸に渡った先の公園に小さな石碑がありました。こちらは「雀の松原」の碑です。現在は住宅地や工場が建ち並んでいる魚崎ですが、かつては砂浜が広がり、松林が続いていました。

古代まで、魚崎の中心地は住吉川の右岸の「佐才郷」と呼ばれたこの辺りにあったと言われています。しかし、住吉川の氾濫被害に遭い、町は現在の魚崎に移転。かつて町があった場所には松原が広がるようになりました。初めは「佐才の松原」などと呼ばれていたこの松原ですが、「佐才」が鳥の「鷦鷯(ミソサザイ)」になり、さらに「鷦鷯」に「雀」の漢字を当てるようになったため、「雀(すずめ)の松原」と呼ばれるようになりました。

住吉川を下る

「雀の松原」の碑を後にし、住吉川を下ることにします。魚崎の町は住吉川の畔に生まれ、住吉川とともにありました。川沿いは公園となり、地域の方々の憩いの場となっています。

次回はさらに魚崎の町を歩いてみたいと思います。

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