せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

王子を歩いて(前編)

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梅雨も明け、夏も本番の頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

王子公園駅

山陽電車に乗って三宮で阪急電車に乗り換えて到着したのは王子公園駅
ご存知の通り、神戸市立王子動物園の最寄り駅です。
駅にはパンダの装飾が為されていて楽しい雰囲気です。

謎の線路

駅の北東には途切れた謎の線路が。こちらの正体は後ほど登場します。

原田拱橋

駅を出ると、市街地に高架橋が続き、美しいアーチ橋で道路と交差していました。こちらは原田拱橋という橋です。かつてはこの橋の下を神戸市電が通っていたそうで、現在も、神戸市電とほぼ同じルートをたどる市バスが行きかっています。この区間の高架橋が開通したのは戦前の昭和11(1936)年のこと。設計したのは「コンクリート博士」とも呼ばれる阿部美樹志という建築家で、他にも東京や大阪の多くの鉄道高架橋や、阪神淡路震災で損壊して解体されてしまった神戸阪急ビルなど、大正から昭和にかけての多くの建築に携わった人物です。

王子動物園

駅から歩いて程なく、王子動物園に着きました。以前訪れた諏訪山にあった諏訪山動物園が昭和26(1951)年に移転して開園した動物園で、今はパンダがいることで知られています。

王子神社

家族連れで賑わう動物園の向かいに小さな神社がありました。こちらは王子神社です。

現在は小さな神社ですが、この王子神社の歴史は非常に古く、鎌倉時代にまで遡ると言われています。鎌倉時代の初めに信州よりこの地に移り住んだ松本忠公なる人物が故郷の諏訪大社より建御名方神を勧請し、現在、王子動物園の敷地となっている原田の森に神社を建立したのが始まりとされています。かつては広大な敷地をもっていたそうですが、昭和25(1950)年に開催された日本貿易産業博覧会に境内が使われることになり、敷地を神戸市に提供して東へ移転。後に博覧会の跡地は動物園となり元の境内に戻ることはありませんでした。神社はさらに王子スタジアム建設のために移転し、現在地へ落ち着くことになりました。それにしても、諏訪の神様を祀る神社の跡地に「諏訪山」から動物園が移ってくるとは、不思議な縁があるものです。

元原田神社の碑

境内の隅には「元原田神社」と書かれた石碑がありました。王子神社はかつて祭神の名前から健御名方尊神社、通称「原田神社」と呼ばれていました。さらにその前には、鎌倉~南北朝時代頃に合祀された熊野十二所権現の若一王子(若王子)から「王子権現」と呼ばれていたとのこと。この辺りの「王子」というちょっと変わった地名はもともとはこの王子権現が由来です。

王子の地名の由来がわかったところで、次回に続くことにします。

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