せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

因幡街道の宿場町・作州大原を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、因幡街道の宿場町として栄えた岡山県の大原を歩いてみたいと思います。

脇本陣

石畳風の通りを歩いて見つけたのは立派な長屋門です。こちらは脇本陣です。江戸時代の宿場では、大名や旗本、勅使などは本陣と呼ばれる宿に宿泊していました。脇本陣はその予備的な施設で、本陣が利用できない時に代替施設としての役割をしたほか、通常時は最上級の旅籠として一般客の宿泊も受け入れていました。

田中酒造場

脇本陣のすぐ南側には造り酒屋がありました。町屋様式の建築は明治時代のものだそうですが、実に趣がありますね。

旧中国銀行大原支店

田中酒造場の隣はなんと洋風建築。こちらは中国銀行大原支店だった建物です。銀行自体は国道373号線沿いに移転していて、この建物は現在、司法書士事務所として使われているようです。

播磨・美作・因幡の三カ国の国境が交わるこの辺りは古くから戦略上の拠点とされてきました。戦国時代には宇喜多秀家方の宇野家貞なる人物が現在の大原駅の裏山にあった山王山城を拠点としてきました。その後、時代は下がり、家貞の甥でこの城を引き継いだ新免貞重なる人物は居城を下町近くの竹山城に移しました。新免氏はしばらくこの地を治めていましたが、関ヶ原の戦いで西軍についた宇喜多氏に従って敗れてこの地を去り、黒田長政に仕えたとのことです。この二つの城の城下町として生まれたのが古町下町という二つの町でした。江戸時代に入り、平和な時代が訪れると、この地は津山藩領、幕府領を経て周辺の旧吉野郡の村とともになぜか常陸国土浦藩の領地となりました。この頃には大原の城下町としての性格は失われてしまいますが、その代わりに因幡街道の宿場町として栄えることになりました。

大原本陣

街並みの中心にあったのが大原本陣です。残念ながら、内部を見学することはできませんが、外から見ても立派な建物だとわかります。美作国内の因幡街道には北から坂根(現在の西粟倉村の集落)、古町辻堂(中町)の三つの宿場があったそうですが、本陣と脇本陣があったのは古町だけで、当時から因幡街道の拠点だったことがうかがえます。

大原の街並みを眺める

大原本陣を眺めてから、大原の街並みを振り返ってみました。よくある観光地の街のような華やかな雰囲気はなく、それはそれで厳しいところもあるのでしょうが、訪れる者としては趣のある街を静かに楽しむことができ、実に爽やかな気分になれました。

間もなくの夏休みには、少し足を延ばして作州大原を訪れてみてはいかがでしょうか。

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