せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

荒井・伊保を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、伊保から荒井へと歩いてみたいと思います。

観音寺の境内

観音寺
の境内に入ると、瓦屋根が夏の日差しを浴びて眩しいくらいです。
堂宇がきれいに整えられているせいで、新しい寺院なのかというところですが、鎌倉時代に東大寺大勧進職を務めた重源の指示で室町時代に創建されたという古い歴史をもつ寺院です。現在の建物は江戸時代のものとのこと。

荒井神社

観音寺からさらに狭い路地が続く住宅地を歩いていくと、竜宮城かというような門が現れました。こちらは荒井神社神門です。

荒井神社の境内

神社の境内には保育園があり、子供たちの声が賑やかですが、奥の社殿は趣のある雰囲気。

荒井神社は飛鳥時代の舒明天皇元(629)年の創建と伝わる非常に古い歴史をもつ神社で、出雲氏族が洗浜(荒井浜)に大己貴大神(大国主命)を祀ったのが始まりと言われています。現在の位置に遷ったのは鎌倉時代とのこと。かつては広大な敷地を持っていたそうですが、幕末~明治にかけて荒廃し、現在の建物の多くは昭和初期に建て替えられたものです。

キッコーマン踏切

神社の前にあるのが、山陽電車のキッコーマン踏切です。その名の通り、線路の南側には醤油メーカーの工場があり、一時は珍しい名前の踏切と有名になりました。かつて、この辺りは塩田が広がり、製塩業が盛んな土地でした。しかし、幕末~明治に加古川の氾濫で塩田が壊滅的な被害を受けて荒廃。主要な産業を失った町は衰退してしまいました。荒井が再び発展し始めたのは昭和に入り、こうした工場が沿岸部に立地するようになってから。現在は播磨臨海工業地帯の要を担う工業の街です。

荒井駅

山陽電車の線路沿いを歩いて荒井駅に着きました。朝晩は通勤客で賑わう駅ですが、昼間は静かな雰囲気です。ここから普通車に乗ってのんびりと帰ることにしました。

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