せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

淀川左岸の街・伝法を訪ねて(後編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前々回、前回に続いて大阪の伝法地区を歩いてみたいと思います。

阪神なんば線

正蓮寺から住宅地の中を歩いていくと、阪神なんば線の踏切に差し掛かりました。雨の中、近鉄の電車がゴトゴトと鉄橋を渡っていきます。

…鉄橋?

正蓮寺川

踏切の傍から鉄橋の下を覗いてみると、土と砂利の景色が広がっていました。つい最近までこの地には前回訪ねた正蓮寺の名前がついた正蓮寺川という中津川の分流が流れていました。しかし、阪神高速2号淀川左岸線の建設等の工事の中で川は暗渠化されてしまいました。阪神高速は既に開通済みで、その他に川跡には公園などが整備されるそうです。阪神なんば線の鉄橋や「正蓮寺川西岸」という踏切の名前に川があったことは残されていますが、いずれ、ここに川があったことも忘れられていくのでしょうか。

鴉宮

正蓮寺川の畔に小さな神社がありました。こちらは鴉宮(からすのみや)です。鎌倉時代の建保3(1215)年創建とされる古い神社で、当時は傳母頭(もりす)神社と呼ばれていました。「鴉宮」という名前をつけたのは豊臣秀吉で、文禄元(1592)年に朝鮮半島へ出兵する際にこの神社で無事を祈願したところ、三本足の八咫烏が現れ船を守ったといわれ、それに感激した秀吉が帰国後にこの名前を贈ったと言われています。鴉宮はかつての伝法川と正蓮寺川の分流点にあり、秀吉だけでなく、大坂へ出入りする多くの舟を見守ってきたのでしょう。今も、阪神なんば線の電車から一瞬だけ社殿を見ることができます。

澪標住吉神社

鴉宮の近くには少し大きな神社がありました。こちらは澪標住吉神社です。神社の前には大阪市の市章である「澪標」が建てられていました。この神社の歴史は非常に古く、平安時代の延暦23(804)年に遣唐使の一行が航海の安全を祈願して住吉神を祀ったのが始まりと言われています。祭壇の跡には目印に澪標が建てられ、社名の由来となりました。大坂の海の玄関口として栄えた伝法ならではの神社ですね。

伝法駅にて

阪神なんば線の伝法駅に戻ってきました。帰りの電車を待っていると、奈良行きの快速急行がしとしとと降る梅雨の雨を跳ね飛ばして通過していきます。川面すれすれを走る阪神なんば線の淀川橋梁ですが、防災のために架け替えが計画されていて、伝法駅も移転するとされています。淀川とともに姿を変えてきた伝法の街はまた少し姿を変えることになりそうです。今しか見られない街並みを訪ねて伝法地区を歩いてみませんか。

ランキングに参加しています。
お出かけ前にクリックをお願いします!
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。