せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

網干の浜田を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、網干区の浜田地区を歩いてみたいと思います。

龍門寺の境内

広い龍門寺の境内を散策してみることに。
龍門寺は江戸時代の創建で比較的新しい寺院ですが、播磨有数の禅宗寺院であったことからか、多くの文化財を所有しています。

石仏

境内の石仏は風雨で輪郭が曖昧になり、何だか優しい表情ですね。

不徹寺

龍門寺を後にし、街中を歩いていくと、不徹寺という寺院に着きました。

不徹寺は龍門寺の開創・盤珪永琢の弟子の嶺雲貞閑禅師が貞享5(1688)年に創建した尼寺です。嶺雲貞閑禅師は田捨女(でんすてじょ)とも呼ばれ、丹波の柏原(現在の丹波市)の生まれとされています。田捨女は尼僧としてだけでなく、貞門女流六歌仙の1人として江戸時代の著名な歌人・俳人としても知られていました。6歳の時には

雪の朝 二の字二の字の 下駄の跡

という俳句を詠んで幼いころから才能を認められていたそうです。晩年は龍門寺に近いこの地で過ごし、墓は龍門寺の境内にあります。

不徹寺の境内

不徹寺の境内は尼寺らしいというべきか、小ぢんまりしていますが、穏やかな雰囲気です。

網干をぐるりと歩き回り少し疲れてきたところで、不徹寺から揖保川沿いを歩いて山陽網干駅に向かうことにしました。
連休が終わったところですが、これから気候の良い季節。網干の街をゆっくりと歩いてみませんか。

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