せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

新湊川を歩く(中編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて新湊川沿いを歩いてみたいと思います。

川辺に降りてみる

新湊川沿いに歩いていると、川辺に降りられる階段を見つけました。
試しに降りてみたのですが、コンクリートの壁に囲まれ、下水の匂いが漂い、「調整池恐怖症」の私には正直あまり気持ちのいい空間ではない…。コンクリートの壁の向こうには巨大なトンネルがぽっかりと口を開けていてより背筋がぞわぞわしてしまいます。そそくさと「地上」に戻ることに。

新湊川トンネル

ぽっかりと口を開けていたのは新湊川トンネルです。あまりの大きさに何だか感覚がおかしくなりそうですが、説明看板によると坑口は幅12.8mで高さ10.2mとのことなので、高速道路のトンネルと同じくらいの大きさです。

天井川だった旧湊川は大雨のたびに氾濫し、市街地に水害を引き起こしていました。さらに、開港地・神戸に土砂を運ぶ厄介な存在でもあったため、明治34(1901)年に新湊川が開削され、流路を変更されることになりました。その際に掘られたのが日本初の近代河川隧道とされる湊川隧道でした。川の流路変更のためになぜ、そんな大工事をしたのか。地図を眺めながら想像してみると、普通なら、この会下山を避けて上沢、下沢へと、ちょうど古代にこの地を流れていた古湊川のルートをなぞるように流せばいいと考えるところでしょうが、古い地形図をみるとその辺りは既に市街地となっていて、新たに川を開削するのは大変そうです。さらにそのルートでは和田岬の北側に流れ着くことになるので、神戸港への土砂の流入を防ぐという目的も果たせそうにはありません。その他の考えうるルートも同じようなもの…ということで、トンネル掘削という難工事を選んだのでしょうか。

湊川隧道

湊川隧道は100年近く新湊川の流路となってきましたが、明治時代の小さなトンネルでは近年の水害に対応することが困難となってきました。平成12(2000)年に新湊川トンネルが完成し、新湊川の流路がそちらに移った後は近代化遺産として保存され、イベント等の際に公開されているようです。

会下山へ

これまで新湊川沿いに歩いてきましたが、トンネルを歩くことは当然できないので、ここで川を離れて会下山へ登ってみることにしました。

さくっと進みたいところではありますが、残念ながら(?)会下山も無視できないスポット…ということで、次回に続きます。

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