せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

姫路城天守閣に登る(中編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、姫路城に登ってみたいと思います。

西の丸

菱の門から西の丸へと登ってみました。
西の丸には庭園が広がり、周囲を通称「百間廊下」と呼ばれる渡櫓に囲まれています。現在、庭園になっている空間には大坂の陣の後の元和4(1618)に当時の城主だった本多忠政が息子・忠刻とその妻・千姫のために「中書丸」と呼ばれる御殿を建てたのですが、江戸時代の中ごろまでに失われてしまったようです。

百間廊下

百間廊下の内部には板張りの部屋が続いています。北側の渡櫓には小部屋が連なり、西の丸で働く女中が生活していたと言われています。どこか生活の匂いのする百間廊下ですが、軍事拠点として姫路城を考えると防御の機能も持っていました。

播磨平野の平地にあるために平城(平地に築かれた城)に見える姫路城ですが、実際は平野の中にそびえる天然の山に築かれた平山城です。天守閣があるのが姫山で、西の丸は鷺山という山を造成して築かれました。天然の川を利用した堀を巡らし強固な守りの姫路城ですが、西側に弱点を抱えていました。それが、姫山や鷺山と同じく平野の中にそびえる男山景福寺山といった小山の存在でした。この山々に敵が拠点を設けた時の防御のため、西の丸にはびっしりと櫓が設けられたのです。こうした設備は西の丸独特のもので、東側に同じような設備はありません。

櫓の中の段差

「百間廊下」と聞くと、平らな廊下が続いているような印象を持ってしまいますが、天然の山を造成した土地に設けられたせいか意外と傾斜があるようで、途中に何度も階段があります。

化粧櫓

北端の化粧櫓にたどり着きました。化粧櫓は千姫が男山にある天満宮を朝夕に遥拝した後に休息所として使っていたためにその名で呼ばれているようです。ここで一旦外へ出ることに。

天守閣を見上げる

西の丸から天守閣を見上げてみました。
西の丸の時点で結構な高さまで上ったと思っていたのですが、天守閣は更なる高台にありますね。次回はいよいよ天守閣に入ってみたいと思います。

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