せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

塩屋を訪ねて(中編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、塩屋を歩いてみたいと思います。

毘沙門の道標をたどって

前回発見した「毘沙門」 という道標をたどって塩屋地区を歩いていくことにします。

立ちはだかる急坂

「右 毘沙門」
とそっけなく書かれた先にはくじけそうな急坂が立ちはだかっていました。薄々感じていましたが、目指す毘沙門は相当な山の中にあるようです。

山王神社

急坂を登りつめて木立の中に入ると小さな神社がありました。境内は最近話題の位置情報とARを利用したスマートフォンゲームの対戦場となっているようで、子供たちが何やら盛り上がっていました。

源平塚へ

山王神社の境内に「源平塚」への案内があったので寄り道してみました。しかし…、案内の道標が指し示す先の道は夏草に覆われ、おびただしい数のアブラゼミの大群に襲われることになり、心が挫けそうに…。結局、手前の亀光大明神なる祠までで断念してしまいました。これは草や虫の少ない冬季に訪れるのがよさそうですね。

源平の合戦についてはこのブログでも何度も触れていますが、平氏が滅亡することになる治承・寿永の乱ではこの近辺が戦乱の地となりました。当時都の置かれていた福原の西側を守る要所となったこの地では多くの戦死者が出て、さらに、寿永3(1184)年の一の谷の合戦では源氏の奇襲を受けた平氏は摂津を離れ、屋島、壇ノ浦へと逃れていくことになります。この源平塚は塩屋地区の住民が戦死者を供養するために設けたものとのこと。

「毘沙門」へ

人気のない山道を登りつめると、小さなお堂にたどり着きました。
こちらが道標の示す「毘沙門」のようです。案内によるとこの毘沙門堂は塩屋地区の北を守り、豊漁と繁栄を祈ってまつられたとのこと。決して大きなお堂ではありませんが、村の中にあったたくさんの道標を考えると、古くから塩屋地区の住民に大切に信仰されてきたのでしょう。

須磨浦山上を望む

ふと見上げると、須磨浦山上遊園が見えました。塩屋地区を歩いていたつもりが気が付けばずいぶんと山奥へ来てしまったようです。
次回は塩屋地区の街中を改めて歩いてみたいと思います。

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