せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

塩屋を訪ねて(前編)

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猛暑の頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

山陽塩屋駅

今回のスタートは山陽塩屋駅
何だか既に訪れていそうな気がしたのですが、よくよく確認すると今回が初めての紹介です。

塩屋の路地

塩屋地区の特徴がこの路地です。海側には山陽電車だけでなくJRの駅もあり、マンションが建ち並ぶ景色が広がるのですが、山陽電車の高架をくぐると狭い路地に商店がびっしりと軒を連ねる別世界のような景色が広がっています。

塩屋谷川

路地を抜けると川のほとりに出ました。この川は塩屋谷川。須磨の奥須磨公園付近から下畑地区や塩屋地区を経て大阪湾へと注ぐ川です。

神戸市内でも独特の景観を持つ塩屋はかつて海岸で製塩が行われていたことを地名の由来としているとされています。ただし、製塩と言っても大塩などの播磨灘沿岸で行われていたような塩田を使った大規模なものではなく、海岸で海水を煮詰めて塩を作る原始的な製塩だったのでしょうが。近代に入り、山陽本線や山陽電車の前身の兵庫電気軌道が塩屋谷川の河口付近に駅を開設し、また、海岸の埋め立ても行われて大きく景色が変わってしまいましたが、この狭い路地の景色は漁村の趣をそのまま残しているように感じます。

毘沙門の道標

さて、街中を散策していて気が付くのが「毘沙門」と書かれた道標です。辻々に同じような道標があり、ひっそりと存在を主張しています。毘沙門といえば垂水の多聞寺かと思うのですが、どうも道標が示すのは別の方向のよう…。
次回も塩屋地区を歩いて、毘沙門について迫ってみたいと思います。

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