せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

林崎を訪ねて(前編)

投稿日:



梅雨明けが待ち遠しいこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

林崎松江海岸

山陽電車の話題の新型車両・6000系で到着したのは林崎松江海岸。海を感じさせる駅名ですが、駅から海を眺めることはできず、わずかに潮の香りを感じるだけです。

貴崎神社

異様に入り組んだ住宅地を通り抜けると小さな神社にたどり着きました。こちらは貴崎神社。この辺りの地名は林崎町ですが、山陽電車の北側には「貴崎」とつく地名や団地が広がっています。

貴崎の地名は林神社と深く関わっています。伝説では、もともとこの地に西窓后東窓后という二人の美しい女性が住んでいたとのこと。その女性を狙っていたのが沖合に住んでいた大蛸でした。一日中蛸に狙われて気の休まる暇のなかった二人を助けたのが浮須三郎左衛門という人物でした。一計を案じた三郎左衛門は大きな蛸壺に大蛸を誘い込んで足を切り落とし、山伏に化けて陸に逃げた大蛸を林神社の近くでついに討ち倒しました。大蛸は石になり、その石は後に「立石」と呼ばれるようになったとのこと。ただし、石は現存せずに石から湧き出た水が由来という「立石の井」だけが現在も林神社の東側に残されています。何とも昔話らしい伝説ですし、「岸崎(貴崎の旧名)」と女性の「后(きさき)」をかけて生まれた伝説なのではないかと個人的には思います。

林崎の街並み

貴崎神社の近くには林崎の街並みが続いています。寺院の屋根が目立ち、少し懐かしいような景色ですね。

林崎漁港

街並みの外れには林崎漁港が広がっていました。

先ほど訪れた貴崎神社は「神社」とついていますが、そもそもは林神社の御旅所とされています。 そういえば、この界隈の神社は海側に向いて社が建てられているものが多いのですが、貴崎神社の小さな社殿はまっすぐ海側ではなくこの林崎漁港の方を向くような配置でした。その辺りも普通の神社とは違うところのような気がします。林神社と海をつなぐ存在だったのでしょうか。

次回はこのまま林崎を歩いて西新町の方に向かってみましょう。

ランキングに参加しています。
お出かけ前にクリックをお願いします!
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。