せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

旧居留地を歩く(前編)

投稿日:



初夏の気配を感じるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

生田ロード

今回のスタートは生田ロード。
前回までで見てきたように、生田ロードと交差するこの道路は旧西国街道で、現在は神戸市道の「花時計線」と呼ばれています。

奇妙な町割り

生田ロードの東側を見て気付くのは奇妙な町割りです。旧西国街道に沿って東西に細長い建物が建ち並んでいます。これは一体…?と思いますが、古地図を見てみると、この付近には大きな役所の建物が並んでいたようで、その区画がそのまま現在の町割りになっているようです。ちなみに、この付近には関所のようなものがあったようです。

神戸朝日ビル

生田ロードのすぐそばにあるのが「神戸朝日ビル」です。映画館などが入る地上25階建の高層ビルですが、低層階は何だかレトロな雰囲気の外壁です。こちらはかつてこの地にあった神戸証券取引所の外観を復元したものです。旧西国街道の南側は旧居留地と呼ばれ、こうしたレトロなビルが多数存在しています。

前回も歩いてきたように、神戸に外国人居留地が設けられたのは幕末のこと。開港地として選ばれた兵庫に隣接して外国人居留地が設けられました。北は西国街道、東は生田川(現在のフラワーロード)、西は鯉川(現在の鯉川筋) に造成されました。ただし、居留地の造成工事は遅れ、江戸幕府から事業を引き継いだ明治政府は暫定措置として周辺部の西は宇治川、北は山麓までを雑居地として外国人の居住を認めることになりました。このことが神戸の独特な風景を生み出したとも言われています。

商船三井ビルディング

居留地内を歩いて南側の海岸通まで出ました。
目立つのは「商船三井ビルディング」です。大正11(1922)年に大阪商船(現在の商船三井)が神戸支店のビルとして建てられたもので、旧居留地のレトロビルが震災や建て替えで失われた中でかつての姿を残す数少ない建物です。神戸外国人居留地は明治時代に日本に返還されてから多くの銀行や商社が立地し、競うようにこうしたビルを建てていきました。次回はもう少し旧居留地を歩いてみたいと思います。

ランキングに参加しています。
お出かけ前にクリックをお願いします!
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ
にほんブログ村