せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

須磨浦を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回から須磨浦を歩いているのですが、ぼんやりしている間に桜の季節も終わりが近づいてきている頃…。もはや焦っても仕方がありませんので、マイペースで進めることにしましょう。

夜桜ライトアップ

先週まで行われていた「敦盛桜」の夜桜ライトアップの様子です。美しかったのですが、こちらはまた来年に。

大阪湾を望む

前回の続き。つづら折りの階段を上っていくと、大阪湾を見下ろすことができました。ちょうど梅田行きの特急が通過して行きます。

安徳帝内裏跡伝説地

階段を上った先はごく普通の住宅地でした。山が海に迫る印象が強い須磨浦ですが、電車の車窓からは見えにくい山の中腹は意外となだらかになっていて、住宅地が広がっています。その真ん中にあったのがこちらの祠。神社かというところですが、案内によると、こちらは安徳帝内裏跡伝説地とのこと。一の谷の戦いの際に安徳天皇の内裏が一時的に置かれた場所と言われています。ただし、史実と辻褄が合わないようで、あくまで「伝説地」とのこと。後にこの場所には安徳天皇を祀る安徳宮が建立されました。

敦盛塚

安徳帝内裏跡伝説地から一旦須磨浦公園に戻って訪ねたのが敦盛塚。賑やかな須磨浦公園の界隈の中でここだけどこかひっそりと静かな空気が流れていました。
かつて山陽電車にはこの塚にちなんだ「敦盛塚駅」がありましたが、古地図を見てみるとこの塚からはかなり東側にあったようです。

平敦盛についてはもはや説明は不要かもしれませんが、平清盛の弟の息子、つまり、清盛の甥にあたり、一の谷の合戦の際に源氏方の武将・熊谷直実に討たれたという『平家物語』に書かれたエピソードから源平合戦の悲劇のヒーローとして知られています。敦盛の首は須磨寺にある敦盛塚に納められたと言われ、こちらの敦盛塚は胴が納められた胴塚とされています。

夜桜と山陽電車

再び夜桜の写真から。
桜の季節は間もなく終わりですが、これからは気候がよく新緑を楽しむこともできる季節。須磨浦で歴史に思いをはせて歩いてみるのもいいかもしれません。

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