せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

曾根崎を歩く(後編)

投稿日:



こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、大阪の曽根崎を歩いてみたいと思います。

お初天神参道

曽根崎警察署の裏手に続くのは「曽根崎お初天神通り」なる商店街です。商店よりは飲食店が多いような印象で、北側の阪急東通りと一続きの繁華街のようです。この商店街の両側が現在の地名で曽根崎に相当するエリアです。

曽根崎公西会市場

飲食店が建ち並ぶ通りから横道に入ると、曽根崎公西会市場なる市場がありました。板宿の市場のような雰囲気ですが、営業している店舗は少ないようで、ひっそりとしていました。

露天神社

商店街を通り抜けてたどり着いたのが露天神社です。 大阪の市街地に飲み込まれそうな神社ですが、境内は意外と広く、雨にもかかわらず多くの参拝客が訪れていました。
露天神社の創建は分かっていないそうですが、平安時代頃にはこの場所にあったとされ、非常に古い歴史があったといわれています。変わったこの神社の名前は平安時代に菅原道真が太宰府に流される際に立ち寄った時に呼んだ歌「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば」に由来するとのこと。

露天神社の境内

この神社の名前を有名にしたのは近松門左衛門が実際に事件をもとに書いた浄瑠璃『曾根崎心中』です。話の詳細は省きますが、大阪の醤油屋の息子の平野屋徳兵衛が思いを寄せた遊女・お初との心中の場所に選んだのがここ露天神社の森でした。浄瑠璃が大ヒットすると大坂の町外れにあったこの神社にも多くの参拝客が訪れるようになり、いつしか、本来の露天神社という名前より「お初天神」という通称の方が有名になってしまいました。現代のアニメの聖地巡礼などの先駆けともいえましょうか。

商店街の幕

先ほど歩いてきた商店街のアーケードにはこんな幕が下がっていました。そういえば気になるのが先ほどこの商店街の位置です。幕にもあるようにこの商店街が露天神社の参道に当たりますが、この参道を実際に歩いてみると神社に裏から入ることになります。一方で、神社の正面に当たる南側には参道らしき街並みはありません。これは一体…? 古い地図にその答えがありました。かつてこの曽根崎の地は中洲になっていて、時代がさがって岸辺と地続きになっても南側は曽根崎川という川が流れていました。地形から推測すると、創建当時の露天神社への参拝は船で川から訪れるのが一般的だったのが、川が埋め立てられる一方で、北側に鉄道が開業し大阪駅が出来るなど周辺環境の変化とともに北側の商店街がメインの参道に切り替わっていったのでしょうか。

大阪の市街地にあり、簡単に行けそうでなかなか行かない曽根崎。
間もなく連続ドラマも最終回ですし、この機会にぶらりと歩いてみませんか。

ランキングに参加しています。
お出かけ前にクリックをお願いします!
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログへ
にほんブログ村