せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

近松門左衛門を訪ねて(前編)

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肌寒い中に春を感じるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

1月からの大河ドラマ「真田丸」の評判がいいようですが、個人的には木曜日にやっている江戸時代の人形浄瑠璃作家・近松門左衛門を取り上げた時代劇のほうが気に入っている…ということで、今回は尼崎に近松門左衛門を訪ねて歩いてみました。

尼崎駅

スタートはJR尼崎駅
駅前から尼崎市交通局のバスに乗ることにしました。
尼崎市交通局は今春より阪神バスに移譲されることが予定されているので、この光景も間もなく歴史となりそうです。

近松公園バス停

10分ほどバスに揺られて到着したのがJR塚口駅にほど近い近松公園バス停

有馬道

車の通りの多い通りから一本西側の筋に入るとカラー舗装された道路が現れました。この道は「有馬道」で、その名の通り、大阪から有馬温泉への街道です。神戸の方なら「有馬道」って兵庫区にもあるのでは…? と思ってしまうところですが、こうした有馬温泉への街道は兵庫区を通る「天王谷越え」や現在はハイキングコースになっている六甲越えの「魚屋道」など複数あり、ここを経由する「生瀬越え」もその一つです。豊臣秀吉も有馬へ大阪から有馬へ行く際はこの道を使ったとのこと。近代になって鉄道が開業しても、現在の神戸電鉄が開業するまではこの街道に沿う福知山線で三田を経由して有馬へ向かうルートが真っ先に生まれましたので、この道が大阪から有馬へのメインルートとも言えましょうか。

近松公園

街道沿いを歩いていくと近松公園に到着しました。 その名の通り、近松門左衛門を記念して作られた日本庭園です。園内は二月の寒さにもかかわらずお年寄りの方が驚くほど多く集まっていました。

近松門左衛門は江戸時代前期に活躍した人形浄瑠璃作家で、義太夫節で知られる竹本義太夫竹本座に所属していました。この竹本座で東大寺大仏殿造営の勧進集めを当て込んで演じられた『出世景清』は近世浄瑠璃の始まりと言われているとのことです。といっても、元も子もない話ですが、人形浄瑠璃には関する知識はそこまでないので、何が違うのかはよくわからないのですが…。その後、元禄16(1703)年には『曾根崎心中』を発表し、元禄文化を代表する浄瑠璃作家として知られるようになりました。

近松記念館

園内には近松門左衛門の遺品などを展示する近松記念館がありますが、何ということか、訪れたときは休館日でした。ぶらり街歩きらしい展開と言ったらそうですが、ちょっと残念。まあ、また訪れよということでしょうか。

記念館は見られませんでしたが、この周辺には近松門左衛門ゆかりの史跡がまだまだあります。もう少し歩いてみることにしましょう。

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