せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

宇治郷を歩く(前編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前々回・前回と諏訪山を歩いてきましたが、今回は諏訪山の麓に広がる街を歩いてみたいと思います。

宇治川

諏訪山を下りて西に歩いていくと涼しげな水の流れる川を見つけました。この川は宇治川。宇治川というと山陽電鉄の前身の「宇治川電気」が思い浮かんでしまいますが、宇治電の名前の由来は京都の宇治川で、この川の名前と直接の関係はありません。ちなみに、京都の宇治川は「うじがわ」ですが、この宇治川は「うじかわ」とのこと。

平野橋

宇治川沿いの公園を歩いていくと「平野橋」なる橋を見つけました。一見、普通の橋に見えますが、川に架かる部分がやけに太いような…。このような仕組みの橋は中に導水管が通っていたりするのですが、調べた限りはよくわかりませんでした。

熊野神社

宇治川沿いを少し離れて街中に入ってみました。小学校の裏手にあったのが熊野神社。市街地の中の小さな神社ですが、宇治物部氏が創建し、平安時代の平清盛の福原遷都の際に再建された神社とされ、長い歴史をもっています。宇治郷の地名もこの宇治物部氏に由来していると言われています。

宇治川の流れるこの地域はかつて「宇治郷(うじのごう)」と呼ばれていました。奈良時代にはその名が見られたと言われ、神戸の中では古い地名です。明治時代の古地図を見ると「宇治野町」といった地名が見られますが、現在の住所表記からは完全に消滅していて、宇治川にその名を残すのみです。行基が尼院を建立した記録などが残っており、この地域では比較的古くから開けた地域だと考えられます。

熊野神社からの景色

熊野神社の境内は小学校に隣接していて思ったほど広くはありません。境内からはマンションやオフィスビルが見えるのみですが、古地図ではこの神社の周辺は針葉樹が生い茂る小高い山になっていたようで、神戸の港を眺めることができなのではないかと思います。

宇治郷が変化したのは平安時代の治承4(1180)に行われた清盛の福原遷都でした。福原京の後背地に当たるこの地域には藤原邦綱が熊野神社に隣接して「宇治新亭」なる別荘を設け、安徳天皇が滞在した記録も残されています。

熊野神社を眺める

今ではすっかり市街地となった宇治郷ですが、熊野神社を遠望してみると山へ向かう坂道と神社の景色から「宇治野山」と呼ばれていた頃の雰囲気を感じることができます。

ここからは宇治川沿いに戻って歩いてみたいと思います。

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