せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

象が歩いた道・諏訪山を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に引き続き、諏訪山を歩いてみたいと思います。

諏訪山遊園の碑

諏訪山の麓には「諏訪山遊園」と書かれた石碑がありました。
遊園といっても、この周辺は諏訪神社の他はわずかな公園があるのみです。これは一体…?

諏訪山公園

石碑から坂道を上ると広場に出ました。こちらは諏訪山公園。標高191mの諏訪山に設けられた公園で、明治の初めの開設という非常に古い歴史を持った公園です。こちらの公園の開設当初の呼び名が「諏訪山遊園」だったとのこと。また、こちらの広場は諏訪山公園の中でも「金星台」と呼ばれているとのことです。

金星観測記念碑

広場の隅に金星観測記念碑がありました。明治7(1874)年、神戸に滞在していたフランス人天文学者ジャンセンを始めとする天文観測隊がこの地で金星の太陽面通過を観測したことを記念して設けられた碑で、金星台や諏訪山公園内にある神戸でも有数の夜景スポット「ビーナスブリッジ」の名前もこのことに由来しています。ちなみに、この石碑は嘉永7(1854)年の安政東海・南海地震で倒壊した生田神社の鳥居の石材を再利用したものとのこと。

諏訪山児童公園

金星台から坂道を下ると諏訪山児童公園がありました。今では何の変哲もない公園ですが、実はこの場所には動物園がありました。

諏訪山に動物園が開設されたのは昭和3(1928)年のこと。当初は諏訪山動物園として運営されていました。昭和12(1937)年には神戸市に移管され、神戸市立諏訪山動物園となりました。その後、戦争の時代を迎え、ライオンやクマ、トラなどの猛獣が軍の命令によって殺処分され、さらに、戦後の昭和21(1946)年には動物園自体も経営が行き詰まり閉園されてしまいます。その後の昭和26(1951)年、前年に開催された日本貿易産業博覧会(神戸博)の跡地に王子動物園が開設され、神戸に動物園が戻ってきました。この時、諏訪山に残っていたゾウの「摩耶子」「諏訪子」はなんと歩いて諏訪山から王子公園へと引っ越しをしたそうです。この時のルートは山沿いに異人館街を通って王子公園へと向かったのでしょうが、当時走っていた神戸市電の布引電停付近で市電の音に驚いて脱走、見物人は大騒ぎになったとのこと。今では考えられないエピソードですが、まだ日本がのどかだった時代のことです。ちなみに、歩いて引っ越しをしたゾウの「諏訪子」はなんと平成20(2008)年まで生き「国内最長寿動物」として表彰を受けるなど、王子動物園の人気者でした。

神戸市民に愛された諏訪山動物園は、現在は動物の檻などわずかな痕跡が残るのみ。ここに動物園があったことを知っているのかどうか、小さな子供を連れた親子が遊具で遊んでいました。

諏訪山からは山を下り、神戸の街を歩いてみることにしました。

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