せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

象が歩いた道・諏訪山を訪ねて(前編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
以前、神戸の都心に佇む相楽園を訪ねてみましたが、相楽園からさらに街を歩いてみたいと思います。

諏訪山

相楽園からさらに山手へ向かうと現れたのが深い山です。海と山が隣り合った神戸では珍しくない光景ですが、なかなかの急な変化にちょっと面喰ってしまいます。

諏訪神社

山際には鳥居が佇んでいました。こちらは諏訪神社の鳥居です。

諏訪神社はその名の通り、信州は諏訪の諏訪大社を総本社とする神社で、その歴史は仁徳天皇の時代にまで遡ります。1600年以上前、仁徳天皇の皇后・八田皇女の離宮の守護として建立されたとのこと。生田神社と長田神社の中間にあることから、古くは「中宮」とも呼ばれていたそうです。祭神の「諏訪大神」こと建御名方神(たけみなかたのかみ)は軍神として祭られていて、源平合戦の折には源義経が武運を祈ったとも言われています。

諏訪神社の境内

急坂を登りつめると神社の境内にたどり着きました。朱塗りが鮮やかな社殿はなぜか中華の香りがします。この神社はなぜか神戸に住む華僑の参拝が多いとのこと。その理由はというと、慶応3(1868)年の神戸開港後、長崎に住んでいた華僑が神戸へ移り住みました。長崎にも「長崎くんち」で有名な諏訪神社があり、以前住んでいた町にあった神社と同じ祭神の神社に親近感を持ったのではないかと言われています。

諏訪山稲荷神社

諏訪神社の隣には、諏訪山稲荷神社がありました。こちらも中華風の造りで、日本風の社殿とは異なった佇まいです。こちらの稲荷神社は安永7(1778)年に京都・伏見の伏見稲荷大社より勧進されたとのこと。

諏訪神社の裏山へ

諏訪神社の裏山へ登ってみました。山道は草生していて壊れた祠などがあり、独特の雰囲気です。

神戸の街を見下ろす

山道の途中が急に開け、神戸の街を見下ろすことができました。ビル街の向こうには大阪湾が広がっています。この神社を信仰した華僑たちはこうして港を眺め、遠く故郷を想ったのでしょうか。

この山道を歩いていけば再度山へと抜けられるそうなのですが、さすがにそこまで行く気はありませんので、もと来た道を戻ってもう少し諏訪山界隈を歩いてみることにしましょう。

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