せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

明石・二見を訪ねて(前編)

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そろそろ秋の気配がしてきたこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

西二見駅

今回訪れたのは山陽電車の西二見駅
平成16(2004)年に開業した、山陽電車で一番新しい駅です。
駅の周辺は空き地が広がっていたのですが、駅ができたことで開発が進み、店舗や住宅などが建ち並んで新しい街が生まれています。

御厨神社

西二見駅から隣の東二見駅のほうへ歩いてたどり着いたのが、御厨(みくりや)神社。浜国道沿いの小さな神社なのですが、妙に存在感があります。

御厨神社の境内

境内に入ると小さいながらも立派な社殿がありました。

御厨神社の歴史は古く、はるか神功皇后の頃に遡るとも言われています。神功皇后の三韓征伐の際に二見浦に船を停泊させて兵糧を集めていると、周辺の住民が食料を奉ったとのことで、神への供え物を用意する場所を意味する「御厨」という名前が付いたとのこと。何だか似たような話があったなと思ったら、お隣の魚住にある住吉神社も神功皇后に関する由緒をもっていますね。本当に神功皇后が由来なのかはさておき、何だかこの辺りの由緒はどこかでリンクしていそうですね。

絵馬

拝殿の中にこんな絵馬がありました。長年風雨にさらされたのか、絵の大半が消えてしまっていて何が何だかわからないのですが、いくつも描かれている白いものは船の帆でしょうか。

古くからこの地にあった御厨神社ですが、平安時代には八幡神が祭られるようになり、さらに、菅原道真が立ち寄ったという伝説から道真も祭られて天満宮とも呼ばれるようになります。お隣の住吉神社もそうですが、海に面した立地のせいか、海運関係者から広く信仰を集める神社となりました。この絵馬も海運関係者が航海の安全を願って奉納したものでしょうか。

海に向いた神社

この御厨神社も周辺にある住吉神社や稲爪神社と同じく、海に向かって設けられています。建物が建ち並んだために今は海を望むことができませんが、やはり、海との強いつながりを感じます。

次回は二見の港を歩いてみたいと思います。

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