せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

明石港界隈を歩く(前編)

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まだまだ梅雨の空が広がるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

魚の棚

今回訪れたのは山陽明石駅。駅前は再開発工事の真っただ中で、至る所に仮囲いが設けられています。あと数年もすれば景色は様変わりすることでしょう。山陽明石駅から南に少し歩くと魚の棚商店街の西端に出ます。
商店街はちょうど七夕まつりの飾り付けがされていて、華やかな雰囲気です。

魚の棚界隈の街並み

玉子焼きを…というところですが、ストイックな(?) 歴史部は魚の棚の前を素通りして街中に…。この界隈ではどうしても魚の棚に目が行きがちですが、違ったところへ視線を向けてみると、こんな街並みが。明石にもうだつの街並みがあるのです。

ジェノバラインのりば

港に向かって歩き、突き当りのジェノバラインのりばに着きました。かつて、本州と淡路島には多数の航路がありましたが、明石海峡大橋の開通で多くが廃止されてしまいました。「たこフェリー」こと明石淡路フェリーがいわゆる「1000円高速」で廃止されたのは記憶に新しいですね。現在はこのジェノバラインが唯一明石と淡路島を結んでいます。

明石は瀬戸内海航路の拠点の一つとしてでなく、淡路島・四国方面への航路の拠点としても栄え、古くから港として整備されてきました。「明石の泊」などと呼ばれていた古代の明石港は現在の明石港とは異なり、西側の明石川河口付近にあったとされていますが、詳しいことはわかっていません。現在の明石港が整備されたのは近世に入ってから。元和3(1617)年に明石藩主となった小笠原忠真が現在の明石城の築城と合わせて、現在の場所に新港を築造したのが始まりです。

明石港を望む

ジェノバラインのりばの傍から明石港を望むことができました。遠くには淡路島の島影も望むことができます。ちょうど、ジェノバラインの船が淡路島から到着しました。
道路の時代となり、淡路島への港としての明石港の存在感はかなり薄くなっていますが、今も、ジェノバラインは多くの方が利用されています。「たこフェリー」の代替を兼ねて、今年には原付を乗せることができる新型船が導入されるとのこと。たまには船でのんびりと淡路島を訪れてみてもいいかもしれませんね。

この辺りは明石港の序の口。次回、もう少し歩いて明石の歴史を感じてみましょう。

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