せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

古代史ロマンを求めて~百舌鳥古墳群を歩く(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前々回・前回に引き続き、大阪の百舌鳥古墳群を歩いてみたいと思います。

御廟山古墳

いたすけ古墳から10分ほど歩くと、御廟山古墳にたどり着きました。
こちらは百舌鳥古墳群の中で四番目の大きさがある古墳です。
全長200mと大型の古墳なのですが、外からもくびれが見えて、前方後円墳の形状が何となくわかりますね。
この古墳は応神天皇陵の第二候補とされていて、宮内庁が管理しています。ちなみに、現在、応神天皇陵の第一候補とされているのは羽曳野市の古市古墳群にある誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)とされています。こちらは御廟山古墳よりもさらに大きく、仁徳天皇陵に次ぐ日本で二番目の大きさとされています。

百舌鳥八幡宮の鳥居

御廟山古墳の近くには百舌鳥八幡宮の鳥居が。
この百舌鳥八幡宮は応神天皇を祭っていて、かつてこの御廟山古墳はこの神社の奥社とされていたこともあるそうです。何だか、この御廟山古墳の方が応神天皇陵なのではないかという気がしてきますが、はっきりとしたことはわかっていないようです。

宮内庁が管理する陵墓は初代神武天皇から昭和天皇まで124箇所ありますが、その他にも伝承などから天皇陵ではないかとされる陵墓が46箇所あり、「陵墓参考地」と呼ばれています。これらは調査の結果などから証拠に欠けるために天皇陵とはされていませんが、宮内庁が管理しています。宮内庁管理の陵墓では発掘調査などが制限されているためにこの御廟山古墳も結局のところ誰が埋葬されているのかはわかっていません。気になるところですが、調査ができないのは仕方ありませんので、謎は謎のまま楽しむこととしましょう。

御陵山公園

スタートの仁徳天皇陵からひたすら歩き、ようやく御陵山公園に到着しました。こちらにある土師ニサンザイ古墳で百舌鳥古墳群の主だった古墳を回ったことになります。公園の入口では埴輪を模した車止めが迎えてくれました。

土師ニサンザイ古墳

この公園にあるのは土師ニサンザイ古墳。第18代反正天皇の陵墓の第二候補とされていて、日本で8番目の大きさとされています。なお、この反正天皇は「倭の五王」のと呼ばれた人物ではないかといわれています。ちなみに、反正天皇陵の第一候補は同じ百舌鳥古墳群にある田出井山古墳と言われています。この古墳は南海電車の堺東駅近くにあるので今回の散策ルートから漏れていましたね。 ただし、この田出井山古墳は規模が小さく、この土師ニサンザイ古墳こそが反正天皇陵であるという説もあるようです。この土師ニサンザイ古墳も発掘調査が制限されているために、結局のところ、誰が埋葬されているのかはわかっていません。

百舌鳥古墳群を巡り、古代史の謎に迫ったつもりだったのですが、何だかより謎に足を踏み込んでしまったような気分ですね。
現在、百舌鳥古墳群は古市古墳群と合わせて世界遺産登録を目指しているそうで、晴れて登録なれば、さらなる学術調査が行なわれるのではないかと期待されているそうです。そのときが来るまで、謎は謎のままにしておこうと思いつつ、中百舌鳥駅から帰途に就くことにしました。

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