せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

姫路・男山界隈を歩く(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に引き続き、姫路城の北西にある男山界隈を歩いてみたいと思います。

男山への参道

趣のある街並みを歩き、男山のふもとにたどり着きました。
山陽姫路駅から結構歩いたところへ、この急な階段が立ちはだかります。
早くもくじけそうになりますが、 改めて体育会系歴史部という設定を思い出し、気合で上ることに。

男山千姫天満宮

山の中腹に小さな神社がありました。
こちらは男山千姫天満宮と呼ばれる神社です。
奇妙なネーミングですが、男山に千姫が築いた神社です。

千姫は徳川家康の孫で、豊臣秀頼の正室でした。大阪夏の陣で大阪城が落城した際に救出され、後に桑名藩主の本多忠政の嫡男・忠刻に嫁ぎます。本多忠政が姫路藩主に転じた際に姫路へ移ることになりますが、忠刻が結核で亡くなった後は江戸城へ移り出家しました。
この天満宮は千姫が忠刻とともに姫路に移った後の元和9(1623)年に創建されました。社殿が参道に対して直角に配置されているのですが、これは千姫の居所があった姫路城西の丸の化粧櫓に向けて建てられているとのこと。

男山八幡宮

千姫天満宮からさらに階段を上ると、男山八幡宮にたどり着きました。
こちらの神社の歴史は古く、貞和元(1345)年に赤松貞範が姫山に城を築いた際に京都の石清水八幡宮から分霊されたものです。
ちなみに、男山があるのならその対になる山もありそうですが、地図を眺める限りは見当たりません。 江戸時代に記された地誌『播磨鑑』によると、昔、廣峯山麓にあった長者屋敷から男女の旅人が逃げだし山に逃げ込みました。それから、男の逃げ込んだ山を「男山」、女の逃げ込んだ山を「姫山」と呼ぶようになったとのこと。ということで、男山の対は現在姫路城のある姫山にあたるようです。

男山の山頂

男山の山頂に上がると、小さな公園がありました。こちらは男山配水池公園。昭和6(1931)年に設けられた男山配水池を整備した公園です。この配水池は姫路市内では最古の配水施設とのことで、近代化産業遺産に指定されています。中世~近世の史跡と近代の史跡が同居しているのはなかなか興味深いですね。

男山から眺める姫路城

公園からは姫路城天守閣と姫路の街並みを望むことができます。
なかなか厳しい山登りでしたが、その疲れが吹き飛ぶような絶景です。
大手前からではなかなかわかりにくいのですが、こうして角度を変えて姫路城を眺めてみると、山の上に築かれた城というのがよくわかりますね。

姫路城天守閣の公開再開はもう間もなく。
久しぶりの天守閣を訪問の際は、併せて近くの男山を訪れてみてはいかがでしょうか。

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